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養老町立小学校の登校班。
2013.04.18
養老町では、全ての小学校で、班別の集団登校をしています。
主な目的は、交通事故や連れ去りなどの防止。
登校班と呼ばれ、規模の目安は10人、高学年が班長と副班長を務め、低学年の人数が多いときは、高学年の負担を減らすためにさらに2つに分けることもあるそうです。
ちなみに、上の写真の登校班の班長と副班長は、黄色い安全旗を持っている二人。
横断歩道の両側に立ち、低学年を先に渡らせるその様子を、とても頼もしく思いました。
なお、この小学校の集団登校は、孫を見送るようになった私が小学生のときにはすでにあり、その頃は20人以上いても1班の登校でした。
そして、孫の同級生の、70歳代のおじいちゃんも集団登校で広幡小学校に通っていたそうです。
いったい、いつから養老町にある仕組みなんでしょうね。
千歳楼の棟札。
2013.04.17
先日、養老公園の老舗旅館である千歳楼で、明治13年(1880)の棟札を見せていただくことができました。
千歳楼の本館については、町史にも、公園の管理運営のために組織された偕楽社が、養老公園の開発にあわせ、古い千歳楼の建物を隣地に移し、総工費三千円をかけて、新しい千歳楼を建てたといったことが記述されていて、建物の時期などは概ね把握できていたのですが・・
この棟札のおかげで、その完成が8月15日だったことなどが、新たに分かりました。
ちなみに、名古屋の材木商に請け負わせたみたいです。
裏面には、棟梁であった中島宗七の名前の他に、副棟梁の名前など、まだ他にも手掛かりになりそうな情報が記されていたので、ひき続き、もう少し調べてみようと思います。
養北小学校の春の遠足。
2013.04.16
今日は、養北小学校の6年生が、春の遠足で、象鼻山に行くのに同行させていただきました。
今まで、こうした象鼻山の案内をさせていただく機会では、現地で子ども達が来るのを待っていて、到着したら説明を開始するというパターンが多かったのですが、今回は、一緒に養北小学校を出発し、象鼻山まで歩くことができました。
初めて象鼻山に行くという子も多かったので、象鼻山の鼻の話など、普段はあまり触れないような説明もさせていただいたのですが、いかがだったでしょうか・・
子ども達が、また象鼻山に行きたいと思ってくれていたらうれしいです。
それにしても、象鼻山の登山道を含め約4kmを歩いた後で、山頂を走り回り、トカゲを追いかける子ども達の姿には、改めて感心させられました。
なんとなくですが、この風景の延長線上に象鼻山の将来像があるような気がします。
清風楼のドウダンツツジ。
2013.04.15
養老公園の清風楼で、ドウダンツツジが見頃を迎えています。
ちなみに、清風楼は昭和の初めに創業した観光旅館で、これらのドウダンツツジは、50年ほど前に、創業者の奥さんによって植えられたものだそうです。
500本もの苗木を植えたみたいで、根が付かなかったものもあるものの、たくさんドウダンツツジが、旅館を取り囲むように咲いています。
まだ、つぼみも多く、4月下旬頃まで楽しめると思いますので、ぜひ養老公園に来られた際には、こちらもご覧になってみてください。
笠郷音頭。
2013.04.12
先月、養老町の子ども会活動と三世代交流の発展を目的として行われた「子ども会フェスティバル」で、笠郷音頭に触れる機会に恵まれました。
とっても楽しい歌詞が印象的で、振り付けもわかりやすく、親しみがもてるものだったので、後日、地元の方に、もう少しお話を聞いてみたところ、新たに笠郷音頭の原本が、水害で流れてしまったことを教えていただきました。
いつのことなのか、まだはっきりしてはいないのですが、集中豪雨で牧田川堤防が決壊した昭和34年8月13日の夜に、笠郷地区の婦人会が盆踊りの稽古をしていたことを思い出しました。
ちなみに、笠郷音頭の作詞作曲は、大垣市上石津町出身の江口夜詩(よし)先生で、振り付けは糸井川益一さんという方だそうです。
思わず一緒に輪の中に入りたくなるような楽しい曲なので、興味がある方は、写真の踊り方を参照の上、ぜひ夏の笠郷地区盆踊りにでかけてみてください。
象鼻山のキツネ。
2013.04.11
今週の火曜日、象鼻山でキツネを見つけました。
もう10年以上、登っていますが、これまでに2回しか見かけたことがなく、3度目にしてやっと手元にカメラをもっていたのですが・・
上手く撮影できませんでした。
ただ、いずれもほぼ同じ場所だったので、4回目のチャンスは、それほど遠くない未来に訪れるような気がします。
次は、生き物ギャラリーに登録できるような写真を撮りたいと思います。
H25養老町薩摩義士顕彰会春季慰霊祭。
2013.04.10
今日は、大巻薩摩工事役館跡で、養老町薩摩義士顕彰会春季慰霊祭が行われました。
風が強く、少し肌寒い一日でしたが、約250名の方々にご参列頂きました。
ありがとうございます。
最後には、顕彰会の副会長から、池辺小学校の児童にむけて、薩摩義士の功績がそれほど鹿児島で知られていない理由を考えてみてほしいという宿題もでていました。
あわてて答えを出す必要はないということでしたので、ぜひゆっくりと時間をかけて、自分なりの答えを探してみてください。
マイタケ生育状況2。
2013.04.09
2月23日に菌の接種をおこなったマイタケ原木ですが、約2ヶ月で、真っ白になるまで菌がまわりました。
原木の並びは前と同じで、左からアラカシ、コナラ、ハゼになります。
1ヶ月前は、若干ハゼの菌のまわりが遅いように思いましたが、もうそんなに差は感じなくなりました。
このまま上手くいけば、あと2ヶ月ほどで完熟しそうなので、そろそろ次の工程である伏せ込みの準備をはじめようと思います。
全南殖産株式会社。
2013.04.08
先日、養老町図書館に所蔵されたことを報告した「宝暦治水薩摩義士事蹟概要」ですが、今日、その初版本を見る機会に恵まれました。
当然、その内容については、何も変わりはなかったのですが・・
一点だけ違いがあり、初版本にのみ、協賛団体を紹介するコーナーが設けられていました。
そして、その中には、この本の著者である山田貞策に関係の深い団体が30ほど。
これまで把握できていなかった情報もあり、大変参考になりました。
上の写真は、そんな団体の一つで、大正2年(1913)に、山田貞策が朝鮮半島に農業視察に行き、その後、大垣の同志と設立した全南殖産株式会社の紹介。
今までは、この大垣の同志とは誰のことかをはじめ、全南殖産株式会社については、ほとんど情報がなかったのですが、これにより、大垣の同志が、石井駒次郎という人物であったことが新たに分かりました。
貴重な手掛かりですよね。
この方の建てた洋館が、今も大垣市に残っているようなので、この情報をもとに、もう少し調べてみたいと思います。
ソーメン早食い大会。
2013.04.05
先日、養老公園で行われていた「ソーメン早食い大会」の写真を見る機会に恵まれました。
看板の内容から、開催が7月28日の14時で、会場が渡月橋の北側あたりであったことは分かったのですが・・
いつ撮られたものなのかが、よく分かりません。
白黒写真であることや、写っている人の服装を考えると昭和40年くらいですかね。
他にも写真は残っていて、この他に、ビールやラムネの早飲み大会も開催されていたことが分かってきているので、ソーメン大将や、ビールの王様の栄冠を手にした人たちが、どんな賞品をもらっていたかなど、ひき続き情報収集を続けたいと思います。
ウナギ漁。
2013.04.04
3日前のお昼、養老町宇田の堀の内にある池で、小舟に乗っている人を見かけました。
何をしているのか気になったので、少しお話を伺ってみたところ、ウナギの罠を手入れしているところでした。
6月からウナギを捕り始めるには、まだ水の冷たいうちに、ワナに使っている青竹の掃除や取り換えをして、水に沈めておかなければならないそうです。
コツもあるみたいで、節をきれいにぬいた青竹を90cmの長さに切り、3本束ねた後、水平になるように紐を結びます。代々受け継いできた漁法で、紐をバランス良く結ばないと、筒の中に入ったウナギが逃げてしまうみたいですね。
養老町でポピュラーな生き物であるにも関わらず、当ホームページでは、まだウナギの紹介ができていないので、6月になったら、もう一度、この方を訪ねてみようと思います。
できれば、味も報告したいところですね。
岡本村吉と、およね。
2013.04.03
先日、千歳楼や豆馬亭の東の「うしろ谷」に、明治の終わりから大正の初めにかけて、岡本村吉とおよねという老夫婦が住んでいたことを教えていただきました。
上の写真は、そのあたりの様子を撮影したものになります。
この村吉という老人、とても律儀な人柄であるものの、大変貧しい生活を送っていたようなのですが・・
どうも、その粗末な住居の仏壇に、養老公園開発の礎を築いた人物である「岡本喜十郎」の俗名を書いた位牌があったことが分かってきました。
気になったので、少し調べてみたところ、どうやらこの村吉老人は、岡本喜十郎家の名跡を継いだ人物であるらしいということが新たに分かりました。
ただ、血縁はなかったみたいですね。
まだ分からないことばかりですが、なぜこの村吉老人が岡本姓を名乗るようになったのか、ひき続き情報収集を続けたいと思います。
船附八幡神社の狛犬。
2013.04.02
養老町船附の八幡神社で、コロコロと動く玉が口の中に入っている狛犬を新たに見つけました。
当ホームページでは12例目、笠郷地区では早戸神社、八剣神社に引き続き3例目の発見になります。
そして、この狛犬がいる船附八幡神社では、若木ではありますが、ソメイヨシノの他に、彼岸桜やしだれ桜もきれいに咲いていました。
このうち、彼岸桜は、時期がそろそろ終わりそうですが、まだ若木ならではの鮮やかな紅色の花を咲かせています。また、ソメイヨシノは今が見頃で、しだれ桜はもうしばらく楽しめると思います。
神社周辺は道が狭く、駐車スペースもありませんが、今なら狛犬だけでなく3種類の桜も楽しめるので、近くにお住まいの方は、ぜひ見に行ってみてください。
ホームページのリニューアル。
2013.04.01
新年度を迎え、当ホームページのデザインをリニューアルしました。
特に、新たなコンテンツが増えたわけではありませんが、これまでよりも主要なコンテンツにアクセスしやすくなったと思います。
これまで気づきにくかったものについても、比較的見やすい位置に配置できたと思いますので、ぜひ、いろいろとのぞいてみてください。
丁石の復元。
2013.03.22
今日は、養老3滝めぐり同好会よりいただいた寄附を基に、失われていた丁石の復元作業を行いました。
丁石というのは、滝までの距離を示す道標のことで、当初は、失われたものの中から、七丁・八丁・九丁の3つを復元する予定だったのですが・・
直前になって、七丁のオリジナルが発見されたため、こちらだけ急遽本物を設置しました。
ちなみに、発見したのは地元である白石区の方。
あまりのタイミングのよさに、びっくりしました。
私たちも探したんですけどね・・
さて、養老町教育委員会では、当ホームページのリニューアルのため、4月1日まで最新ニュースの更新を休みます。
ぜひ、新しくなる「養老町の歴史文化資源」もご覧ください。
土屋輝雄の孝子伝説。
2013.03.21
養北小学校の正面玄関には、土屋輝雄さんが描いた孝子伝説の絵が飾られています。
土屋輝雄さんは、養老町高田出身の日本画家。
そのため、町内には、いくつか輝雄さんの絵が残されてはいるのですが・・
孝子伝説を描いた作品は、今のところ他では見た覚えがありません。
無断で校舎に入ることはできませんが、地区の行事など小学校に行く機会があれば、ぜひこちらもご覧になってみてください。
隼人神社のじょりぬぎ場。
2013.03.19
養老町上之郷の隼人神社には、じょりぬぎ場といわれる場所がありました。
じょりぬぎ場というのは、神社の前にあった草履を脱ぐ場所のこと。
どうも、隼人神社にお参りするときには、素足になっていたみたいですね。
今はもう、その場所は残っておらず、詳しいことは分かっていないのですが、私がお話を伺った82歳のおばあちゃんによると、最近まで、3m×2mくらいの島状の形で、神社の南の田んぼの中に残っていたようでした。
ただ、この方が物心ついたときには、すでにじょりぬぎ場で履き物を脱ぐ人はいなかったそうです。
さらに、その姿が往事のままであったかもはっきりしませんでした。
しかし、このじょりぬぎ場は、隼人神社だけでなく、その少し北の白山・御鍬神社にも、あったみたいです。
ひょっとしたら、ほかの地区の神社でも見つかるかもしれないので、ひき続き、情報収集を続けようと思います。
オイカワとカワムツ。
2013.03.18
先週、役場の北の、除川へ通じる水路で、魚捕りをしている少年を見かけました。
網一つでやっているので、どのくらい捕まるものかと、その成果を見せてもらったところ、10匹くらいバケツに入っていました。
なかなかやりますね。
しかし、それよりも印象に残ったのが、この少年がとても魚の名前に詳しかったこと。
見分けるのが難しいカワムツとオイカワも、体の厚みやヒレの色で説明してくれました。
ちなみに下の写真が、少年が捕まえたオイカワになります。
金草川などにも生息しているそうなので、機会があれば、ぜひ見分けられるか試してみてください。
ただ、水辺には、危ないところもあるので、気をつけてくださいね。
マイタケ生育状況1。
2013.03.15
先月23日のキノコワークショップで、マイタケ菌の接種をおこなった原木ですが、半月ほどで、順調に菌がまわりはじめました。
上の写真が、その様子を撮影したもの。
菌の培養を行っている段階で、マイタケ菌は雑菌に弱いため、栽培袋を使用しています。
ちなみに、原木の種類ですが、左からアラカシ、コナラ、ハゼとなっています。
アラカシやコナラと比べると、若干ハゼの菌のまわりが遅いですかね・・
何もかもがはじめてで、不安もありますが、ワークショップにご参加いただいた皆さんと、また笑顔で会うためにも、しっかり管理を続けていきたいと思います。
養老北小学校の春の遠足。
2013.03.14
先日、昭和39年に行われた養老北小学校の春の遠足の写真を見せていただきました。
象鼻山ですよね。
写真の右上に、当時1号墳の上にあった明治記念碑が写っているので、3号墳あたりでお弁当を食べているところを撮影したものだと思います。
ちなみに、沢田の養老北小学校から象鼻山へ行くためには、川を渡らなければならないのですが、どうやら上石津町乙坂と養老町沢田の間にあった小さな木造の橋を通ったみたいですね。
当時の地図で距離を測ってみると、3.7kmくらいの道中でした。
小学校1年生の足だと、2時間くらいですかね。
それにしても、バナナを食べている子が目立ちます。
50年程前は、特別な日のお弁当のデザートといえばバナナで、私もお昼をとても楽しみにしていたことを思い出しました。