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平成25年成人式。
2013.01.15
一昨日の1月13日(日)、養老町民会館で「平成25年成人式」が開催されました。
天気にも恵まれましたね。
今年の対象者は、平成4年4月2日から平成5年4月1日に生まれた390名(男性204名・女性186名)です。
昨年より30名ほど増加しました。
式典では、新成人代表の2名が、成人としての抱負や家族への感謝、社会の一員として生きる覚悟を力強く宣誓してくれました。
当たり前のことかもしれませんが、定刻よりも早く、参加者全員が席に着き、時間通りにはじめられた式典の中での宣誓だったので、とても頼もしく感じました。
この世代が、社会で活躍するのが、今から楽しみです。
ちなみに、下の写真は、昭和44年(1969)1月15日に開催された成人式を取り上げた広報を撮影したもの。
このときの会場は養老女子商業高等学校で、703名(男性343名・女性360名)が成人の仲間入りをしたそうです。
当時の新成人の人数が、今の会場ではとても入りきらないことに、少し驚きました。
象鼻山の樹木名プレート。
2013.01.11
養老町教育委員会では、現在、象鼻山に自生する樹木に、名前プレートを設置する準備を進めています。
設置する樹木は全部で30本で、登山道を中心に、クスノキや、ケヤキといったよく知られたもののほか、シナアブラギリやウワミズザクラといったちょっと珍しいものにも設置します。
今月中には、完了する予定ですので、ぜひ楽しみにお待ちください。
おたきみち道標。
2013.01.10
養老公園の妙見橋北側に、滝までの道を人差し指で示す、ちょっと凝ったデザインの道標があります。
これは「おたきみち道標」と呼ばれている道標で、養老サイダーの生みの親である日比野寅吉によって、大正11(1922)年5月に、養老サイダー本社前に建てられました。
ちなみに、養老サイダーの本社は、もとは大垣にありましたが、明治35(1900)年に、菊水泉の水のおいしさに驚いた日比野寅吉によって、養老公園に移転されました。
そして、その後、順調に製造数を伸ばし、道標を建てた大正時代には、養老サイダーの名前は全国に知れ渡るようになっていたそうです。
ただ、平成12年(2000)の12月、養老サイダーはその歴史に幕を閉じ、今ではもう味わうことができなくなってしまいました。
今でも、この道標を見ると、グラニュー糖の自然な甘さと、きつくない炭酸ののどごしが思い出されます。
みゆき道。
2013.01.09
養老町養老の大菩提寺境内に、今は使われていない古道の一部が残っています。
地元では、この道のことを「みゆき道」と呼んでいて、ヤマトタケルや元正天皇が通過した道とも伝えられているのですが・・
今のところ、その根拠となるような情報は得られていません。
伊勢街道からも50mくらい離れていますし、南北にどのように延長していくのかもよく分からない状況です。
ただ、残存部分がほぼ南北に一直線に伸びることと、その延長線上(北)に戸関遺跡があることは気になります。
少なくとも、ひきつづき調べてみる価値は十分にありそうですよね。
この情報は「タギゾウくんの養老ナビ」にも掲載してあります。
興味のある方は、ぜひ一度現地を訪れてみてください。
四丁(たき道丁石)。
2013.01.08
養老の滝には、丁石(ちょうせき)と呼ばれる滝までの距離を示す道標が建てられています。
これは、明治の養老公園開設にあたり、地元有志などから寄進されたもので、当初は1丁から20丁まであったのですが・・
最近では、その半分以上の行方が、分からなくなってしまいました。
上の写真は、そんな丁石の中で、位置こそ変わらないものの、倒れて文字が読めなくなってしまっている4丁の丁石を撮影したもの。
これでは、誰にも気づいてもらえないのも仕方がないですよね。
なんとか、元通りに復元したいところです。
(倒れる前の4丁)
今年の白鳥情報。
2013.01.07
先週、今年も養老町江月に白鳥が飛来しているという情報をいただきましたので、期間限定で「タギゾウくんの養老ナビ」に、この情報を公開しました。
比較的、見つけやすいそうなので、ぜひルート案内機能を使って、探しに行ってみてください。
象鼻山麓の道標地蔵。
2013.01.04
養老町橋爪の象鼻山のふもとには、移動されてしまった1つを含め、計4つの道標が建てられていました。
さすがに、交通の要衝ですよね。
そして、最近そのうちの一つが、道標地蔵であることを確認できました。
これで、養老町では船附に続き、2例目になります。
後背に刻まれた銘には、ちょっと判読しづらいところがありますが、「左 大がき道 右 たら道」とあるので、おそらくは別所区か、あるいは垂井町栗原あたりから来る道と、大垣と上石津を結ぶ多良街道とが接続する地点に設置されていたんでしょうね。
その点では、現在の位置も、芭蕉句碑の西隣で、ほぼ多良街道沿いに鎮座されているので、そんなに移動はしていないと思います。
ちなみに、上の画像は、今日のお昼頃の様子を撮影したもの。
雪が積もっていたので払っておいたのですが、笠は忘れてしまいました。
養老郡昆虫学会会長山田貞策。
2012.12.28
養老町大巻に日本で初めて水車式排水機を設置したり、池辺村村長を務めたり、薩摩義士顕彰会を設立したりと、様々な事業に取り組み、大きな功績を残された山田貞策さんですが、最近の情報収集で、さらに、養老町直江から小谷山を借用させてもらおうとしていたり、養老郡昆虫学会の会長を務めたりしていたことも分かってきました。
ちなみに、養老郡昆虫学会を設立し、会長を務められたのは、まだ35歳くらいの頃だったようですし、小谷山借用をお願いするハガキは福島県相馬郡から養老町に送られてきています。
すごいバイタリティーですよね・・
まずは、当ホームページの「郷土の先人」コーナーで、山田貞策さんの事跡概要を紹介することを目標に情報収集を続けてきたのですが、結局あまりの幅広さに、年内に実現することができないまま、年の瀬を迎えてしまいました。
養老町役場も今日が仕事納めです。
来年も、引き続き、当ホームページをよろしくお願い致します。
広幡はりん子お誕生日会。
2012.12.27
昨日、広幡小学校で終業式にあわせて「広幡はりん子お誕生日会」が開催されました。
私ははじめてだったのですが、とっても素敵な会でした。
この広幡はりん子お誕生日会というのは、児童が種から育てた花を、誕生日を迎えた児童に贈り、さらに全校でバースデイソングを歌ってお祝いする誕生日会です。
月に1~2度は行われていて、12月に誕生日を迎えた広幡小学校の児童に贈られた花は、黄色のパンジーでした。
これは、FBC(フラワーブラボーコンクール)をきっかけに、もう21年間も続いている広幡小学校独自の行事なのですが、全校で行うようになり、広幡はりん子お誕生日会という名前に変更されたのは、まだ去年のことだったみたいですね。
ちなみに、この「はりん子」という言葉は、ハリヨという養老町を代表する魚が、地元で「はりんこ」と呼ばれていて、広幡地区でも大切にされていることから生まれた造語で、子ども会の機関誌名を公募したときに、ハリヨが巣を作り家庭を大切にする魚であることから採用された「はりん子」とは、ルーツが異なるみたいです。
黄色のパンジー、家庭に持ち帰っても、元気に育つといいですね。
孝子物語の引き幕。
2012.12.26
先日見せていただいた、養老ライオンズクラブのチャーターナイトの写真の中に、高田小学校講堂の引き幕を撮影した写真が含まれていました。
孝子物語をモチーフにしたものだったんですね。
現在、町内の小学校には、孝子物語をモチーフにした緞帳はないので、とても印象的でした。
ちなみに、高田小学校とは、現在の平成記念公園や養老幼稚園のあたりに昭和43年(1968)まであった小学校のことで、その創立は、明治6年(1873)の藍田学校にまで遡ります。
ただ、講堂ができるのは昭和25年(1950)なので、この引き幕もそれ以降のものでしょうね。
写真を見て、実物も見てみたくなったのですが、既に、この建物は平成5年5月に火事で焼失してしまっていました。
きっと、色鮮やかな引き幕だったんでしょうね。
山田貞策さんの情報収集。
2012.12.25
先週、養老町大巻に生まれた山田貞策について、ご子孫の方達から、お話を伺うことができました。
忙しい中でのご協力、本当にありがとうございます。
調査では、山田貞策に関係する資料をはじめ、その業績や人柄などについて、たくさんの情報を収集することができました。
中には、はじめて聞く話も多く、貞策さんが亡くなられたきっかけが、夜、自宅近くの揖斐川堤防で、自転車にはねられてしまったことによるというお話などは、とても印象に残りました。
戦時中であったため自転車は無灯火で走っていたそうですが、もしこの事故がなければ、さらに多くの地域貢献をされていたのかもしれませんね・・
ただ、そんな中、貞策さんがキリスト教に入信されて以降、クリスマスをお祝いされていたかどうかを質問することは忘れてしまいました。
新しいものが大好きな方だったそうなので、ひょっとしたら・・・と想像をふくらませてしまいます。
北野の地蔵堂。
2012.12.21
養老町の北野には、地元で「守り地蔵」と呼ばれているお地蔵さまがいます。
個人ではなく、区で管理されてきたお地蔵さまで、北野の人々をさまざまな災いから守ってくれると伝わっていることから、このように呼ばれているそうです。
ただ、建立の経緯について、詳しくは分かりませんでした。
しかし、お地蔵さまの土台には、「明治31年戌10月」と記されており、まだ建立されて110年くらいしか経っていないので、ひょっとしたら何かご存知の方もいるかもしれませんよね。
毎年8月の第4日曜日には、地蔵盆を行っているそうなので、また、お話を伺いに行こうと思います。
養老ライオンズクラブの結成式。
2012.12.20
昨日、養老ライオンズクラブ5周年を祝う記念誌を見せていただくことができました。
ありがとうございます。
記念誌には、歴代役員の名簿や、活動記録などが掲載されていて、養老ラインズクラブの最初の5年間がどんなものであったかが、よくわかりました。
そんな中、特に目を引かれたのが、結成式の集合写真。
チャーターナイトの約10ヶ月前である、昭和38年(1963)7月28日に撮影されたものですが、会場が養老公園の掬水だったそうです。
数えてみたところ、結成当初のメンバーが21名なのに対し、写真には99名もの方が写っているので、きっと賑やかな結成式だったんでしょうね。
宝暦治水の第2元小屋。
2012.12.19
現在の養老町立池辺小学校の北約1kmのところに、旧池辺小学校跡の石碑が建っています。
ここは、明治31年(1898)から昭和58年(1983)までの86年間、小学校として、池辺の教育を支えてきた場所であるのですが・・
つい最近、山田貞策著『宝暦治水薩摩義士事蹟概要』の記述から、ここに宝暦治水における薩摩藩士たちの第2元小屋があったことを知りました。
詳しいことは分かりませんが、どうやら大巻薩摩工事役館跡と呼ばれている第1元小屋に大牧豪農鬼頭兵内の住家が充てられたのに対し、第2元小屋には根古地新田の豪農中島九郎右衛門の住家が充てられたようです。
ただ、これだと第1元小屋と第2元小屋は、お互い500mも離れていなかったことになり、その理由が気になりますよね。
郡境ですかね・・
千歳楼の勧孝石。
2012.12.18
養老町史に「千歳楼の前庭に一個の巨石あり、勧孝石(かんこうせき)と呼ばれ、二聖(元正天皇・聖武天皇)の臨幸を物語る無学の記念碑と称されたが、千歳楼の創始者である初代岡本喜十郎が、しばしばその巨石に腰を下ろし、計画書を片手に思考にふけったところから、その巨石は勘考石とも呼ばれるようになった。」といった内容の記述があります。
ただ、今では、その所在がよく分からなくなっていて、ずっと行方が気になっていたのですが・・
先日見せていただいた千歳楼の昔の写真の中に、庭の巨石の前で撮影された集合写真を見つけることができました。
まだ、この巨石が、勧孝石かどうかはっきりしたわけではないのですが、天端に男二人が腰を下ろしていることからも、可能性は高いですよね。
そして、この巨石が、現在は横に寝かされ、庭池の石として使用されていることも分かってきました。
一部が土に埋められていることで、その大きさが分かりにくく、ちょっともったいない気もしますが、とりあえず行方がわかり、ほっとしました。
勢至寺跡の瓦片。
2012.12.17
先日、養老町勢至で、瓦の破片を見つけました。
小さなものですが、たぶん中世瓦で、勢至寺に関わるものだと思います。
今のところ1片しか見つかっていませんが、瓦は一枚だけで役に立つものではないので、今後その周りでも見つかる可能性は十分ありますよね。
なんとか発見数を伸ばし、北に隣接する竜泉寺や、南に隣接する柏尾寺といった、他の中世寺院と比較できるだけの情報がほしいところです。
養老音頭と瓢箪ブギ。
2012.12.14
先日、「養老音頭」と「瓢箪ブギ」の製作記録を見る機会に恵まれました。
この2曲の民謡は、昭和29年(1954)に、養老町制施行を記念し、養老町の発展を促す第一歩として作成されました。
その主体となったのは、養老観光協会で、作詞は高橋掬太郎さん、作曲は養老郡上石津町出身の江口夜詩さんです。
資料には、高橋掬太郎さん自筆の歌詞や、江口夜詩さんの手紙をはじめ、製作に関わる記録が詳細にまとめられていて、これらの民謡ができあがるまでの過程がとてもよく分かりました。
ただ、そんな中で、少し疑問に思ったのは、養老音頭の歌詞が、当初は、現在の5番までではなく、12番まで用意されていたことと、瓢箪ブギの曲名が、当初は「瓢箪マンボー」で計画されていたこと。
養老音頭の歌詞には、採用されなかったのが不思議なくらい素晴らしいものがありましたし、瓢箪ブギも発売の2ヶ月前までは、瓢箪マンボーだったみたいです。
何か経緯があるんでしょうね・・
そんな「養老音頭」と「瓢箪ブギ」ですが、今でもカセットテープを500円で販売しています。
興味のある方は、ぜひ養老町教育委員会の窓口にお越しください。
妙見堂の釈迦牟尼仏像。
2012.12.13
先週の土曜日、今年最後となる御開帳に合わせて、養老公園内の妙見堂にお邪魔してきました。
当日は、みぞれ交じりの雨が降るあいにくの天気でしたが、このために法話の会場が妙見堂から日蓮宗養老教会に移動になり、ご本尊である「釈迦牟尼仏像(しゃかむにぶつぞう)」をゆっくりとお参りする時間に恵まれました。
この仏像は、岐阜県の重要文化財で、江戸時代の日蓮宗の高僧中正院日護(1580~1649)の作品といわれています。
元々は京都にありましたが、神戸を経た後に、妙見堂に安置されるようになったみたいですね。
そんな釈迦牟尼仏像の特徴は、とても大きいことと、一つの木から三体造られた仏像のうちの一体であること。
見上げるほどの大きさなので、きっと大きな木から造られたんだと思います。
ちなみに、他の二体のうちの一体は今も山梨県の日蓮宗総本山にあり、もう一体は大阪府の一心寺というお寺にありましたが戦火で消失してしまったそうです。
また、妙見堂のご本尊は、根本でも先端でもなく、木の真ん中のところが使われたみたいですね。
そんな仏様に、次にお参りできる機会は、来年3月8日(金)の午前10時30分から。
梅も咲いていると思いますので、ぜひこの機会に養老公園を訪れてみてください。
八剣神社の狛犬。
2012.12.12
今日、養老町下笠の八剣神社で、口の中にコロコロと動く玉が入っている狛犬を新たに見つけました。
これで、こうした狛犬の発見は、養老町では11例目、笠郷地区では早戸神社に続いて2例目になります。
ちょっと鼻ペチャの、愛らしい表情をした狛犬なので、八剣神社にお参りされるときには、こちらもご覧になってみて下さい。
宝暦治水薩摩義士事蹟概要。
2012.12.11
養老町図書館の郷土資料のコーナーに、新たに、『宝暦治水薩摩義士事蹟概要』という本が仲間入りしました。
この本は、養老町大巻に生まれた山田貞策が、昭和7年(1932)に著作刊行したもので、宝暦治水をはじめ、輪中の由来や災害、薩摩義士の顕彰活動など、養老町をはじめとする輪中地帯を考える上で、とても参考になる内容が記されています。
また、そうした様々な内容を表現する文章の中には、薩摩義士顕彰会の設立をはじめ、多大な社会貢献を行ってきた山田貞策という人物を知る手掛かりも含まれているように思いました。
貸し出しはできず、館内だけの閲覧になりますが、養老町図書館にお立ち寄りの際には、ぜひ一度、手に取ってみて下さい。