養老町の歴史文化資源の発見・普及を目指して設立した当ホームページは、「私たちが暮らす養老町への関心を喚起すること」を目的に運営しています。



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昭和11年の高田商店街。

2014.01.08

S11takada.JPG

 

先日、昭和11年(1936)に撮影された高田商店街の写真を見せていただく機会がありました。

 

高田中町で仕出しを生業としていた家のご主人が亡くなったときのお葬式の様子を撮影したもので、位置関係としては、一番手前に写っている電柱の位置が、中町と西町の境だと思います。

 

近代の高田商店街の様子が分かる貴重な一枚で、棺の四隅に孫灯籠が写り込んでいたりと、当時の養老町のお葬式の様子を知る上でも、いくつか参考になる点がありました。

 

ただ、そんな中で、ちょっと気になったのが、左下に写り込んだ喪主の家の前に立てられたしきび(樒)の位置。

隅っこなので、はっきりとは分かりませんが、通りに合わせて立ててあるような気がしますよね。

 

養老町のお葬式では、しきびは、喪主の玄関口に立てられるのが一般的で、村葬などの場合に、式場の入口に立てられているのは見たことがあるのですが、道の真ん中に立ててあるものは初めてでした。

 

大きなお葬式のようなので、そのためなんですかね・・

また、機会を見て、高田の方に理由を尋ねてみようと思います。

別庄古墳群の副葬品。

2014.01.07

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先日、「郡内古墳発掘物」というメモがついた写真を見る機会に恵まれました。

 

古墳名は明記されていませんでしたが、添えられていた個人名から、養老町史通史編で、別庄1号墳の東隣にあった円墳から、宅地造成の際に出土したと紹介されている副葬品を撮影したものだと思います。

 

ちなみに、別庄1号墳とは、現在、象鼻山70号墳とされている古墳のこと。

その東隣の古墳から出土したとされる副葬品の情報は、これまでずっと探し続けていたものだったので、初めて見たときは、とても驚きました。

 

ただ、町史で直剣(両刃)とされていた副葬品は、ひょっとしたら鉄刀(片刃)なのかもしれませんね。

また、写真の観察だけで、あまり詳しいことは分かりませんが、2振のうち1振には鍔があるようにも見えます。

 

郡史や町史の記述によると、発掘された別庄古墳群の副葬品には、このほかにも須恵器や朱壺などがあったようなので、引き続き情報収集を続け、象鼻山古墳群の性格を解き明かすのに役立てたいと思います。

きのこワークショップの申し込みを締め切りました。

2014.01.06

ojigi-tagizou_w200.jpg

 

新年、あけましておめでとうございます。

今年も当ホームページをよろしくお願いいたします。

 

さて、養老町広報1月号とともに、回覧で参加者募集した「きのこワークショップ」ですが、参加者が定員に達しましたので、募集を締め切らせていただきました。

多数のご応募ありがとうございました。

山田貞策さんの情報を追加しました。

2013.12.27

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当ホームページの「郷土の先人」のコーナーに、新しく山田貞策さんの情報を追加しました。

 

昨年からの課題だったので、今年中にはなんとかと思っていたのですが・・

結局ぎりぎりの対応になってしまいました。

 

それに、その幅広い活躍から、ちょっと文章が長くなってしまっていますね・・

また、少し時間をおいて、読みやすくなるように修正したいと思います。

 

さて、養老町役場も今日で仕事納めになりました。

仕事始めは6日(月)からになります。

 

来年も、引き続き、当ホームページをよろしくお願い致します。

 

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鬼面山谷五郎の灯明。

2013.12.26

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養老町鷲巣の白山神社の境内に、養老町出身で、岐阜県で唯一の横綱である鬼面山谷五郎が寄進した灯明があります。

 

文久元年(1861)に、三役に昇進した鬼面山が、故郷である養老町で父親の追善相撲を催した際に、寄附されたものみたいですね。

確か、故郷に戻った鬼面山が、水害で困窮していた鷲巣の住民に十両を配ったという出来事を記録した古文書の年代も、文久元年だったと思います。

 

根拠となった資料を見たことがないので確かなことは分かりませんが、ひょっとしたら、灯明と十両の寄附は一連の出来事だったのかもしれませんね。

勢至にあったムクノキ。

2013.12.25

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養老町勢至には、とても大きなムクノキがありました。

 

場所は、神明神社東の遊具があるあたりで、大人4人が手を広げてやっと取り囲める大きさだったそうです。

 

しかし、そんな立派なムクノキも、昭和34年の伊勢湾台風で、人の背の高さほどのところから折れてしまいました。

幹の3分の1ほどが空洞になっていたそうなので、ずいぶん弱っていたのかもしれませんね。

 

また、この伊勢湾台風での勢至の樹木被害は、ムクノキだけに止まらず、集落の南側を中心にスギやヒノキ、イチョウなどの木にまで及んだそうです。

 

地元の方によると、岐阜県の天然記念物に指定されている竜泉寺のムクノキよりも大きかったという勢至のムクノキ。 

一度、見てみたかったです。

象鼻山の冬至。

2013.12.24

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22日の冬至に合わせ、象鼻山の日の出の位置を確認してきました。

 

観測地点は象鼻山1号墳の後方部で、観測時刻は6時57分です。

 

手元のコンパスで、古墳の主軸(北北西-南南東)から約30°ほど振った位置からの日の出でしたが・・ 

これが象鼻山1号墳の諸要素と関係があるかどうかについてはよくわかりませんでした。

 

来年は、少し観測地点を変えてみる必要がありますかね。

 

とはいえ、眺望の良い象鼻山から冬至の日の出を見ることができただけでも、十分に早起きした価値はありました。

 

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象鼻山3号墳から見た冬至の日の出

ヤツデ。

2013.12.20

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今日、養老町高田の除川(よげがわ)沿いで、ヤツデを見かけました。

 

葉が7~9つに切れ込んでいて、手のひらのような形をしていることから、ヤツデと呼ばれていて、日陰に強く、気温や水やりにもあまり気を使わなくてもよい、育てやすい植物みたいですね。

 

詳しくは分かりませんが、養老町をはじめこのあたりでは家の入口で見かけることが多く、大きな手のような葉が人を招くように見えることから、「先客万来」の縁起を担いで植えられているか、もしくは「テングノウチワ」といった異名が示すように、「魔除け」の意味で植えられているんだと思います。

 

人によって好みが分かれるみたいですが、ちょうど今が、花が咲く時期なので、少し気にかけてみてください。 

 

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船見の神明神社。

2013.12.19

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養老町船見には、地元の氏神として、大切にお守りされている神明神社があります。

祭神は、天照大神と豊受姫神で、年に4回、祭礼も行われています。

 

ただ、どうも、養老町船見の人たちは、明治25年(1892)までは、養老町若宮にある八幡神社を氏神としていたみたいですね。

しかし、この年、新たに多藝村字前田(現在の養老町三神町)から、神明神社をお迎えすることになり、若宮八幡神社からは分離することを決めたようです。

 

それにしても、 どうして神明神社は、約5kmも離れた船見に遷座することになったんですかね・・

 

理由はよく分かりませんが、船見は、それまで養老町若宮とともに、八幡神社を約200年間お守りしてきていたので、きっと大きな決断だったでしょうね。

文化財の収蔵設備。

2013.12.18

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養老町では、現在、公共施設の一部を改修して、文化財の収蔵スペースを確保するための工事を進めています。

 

限られた条件の中での実施であるため、収蔵設備に求められる配慮について課題がないわけではありませんが・・

それでも、これまでの養老町の環境を考えれば、大きな前進になると思います。

 

完成は年が明けてからの予定で、その後には文化財の搬入や整理作業が必要ですが、来年度には、これまでよりも文化財を活用しやすい環境が得られそうです。

荻生徂徠の書。

2013.12.17

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養北小学校の校長室には、荻生徂徠の書が掲げられています。

 

これは、昭和10年頃に、飯田村出身で当時京都に在住していた若山一二(いちじ)さんから、母校であった小畑尋常高等小学校に寄贈されたものです。

 

ちなみに、書かれている内容は「鶴壽 茂卿(しげのり)」で、鶴壽には、鶴が千年の寿命を保つといわれるところから長寿の意味があり、茂卿は荻生徂徠の字(あざな)になります。

 

養老町に直接関係はありませんが、貴重なものなので、機会があればぜひご覧になってみてください。

竜泉。

2013.12.16

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養老町竜泉寺の山中には、地名の由来になったともいわれる、長さ70m以上・内法約60cm四方の堅固な暗渠水道が残っています。

 

竜泉と呼ばれていて、町史などで、「大鐘乳洞の水を導いているようである。途中まで這って入ることができ、石積みの内部が鐘乳化していることから非常に古い時代のもので、おそらく竜泉寺創建の際に構築されたと思われる。」と紹介されていることから、ずっとその内部が気になっていたのですが・・

 

今日、ついに地元の方々の協力を得て、竜泉の内部確認を行うことができました。

ありがとうございます。

 

個人的には、これが中世竜泉寺の遺構である可能性を探ることが最大の目標でしたが、これについての手掛かりは得られませんでした。

 

そもそも、いつ、誰が、何のために、こんなものを必要としたんでしょうね。

 

分からないことばかりですが、水が流れ落ちる内部にカメラを持ち込むことができたことで、これまでになかった映像データを得ることができたと思います。 

また、鍾乳化した側壁や、内部が徐々に上がっていくこと、天井石に大きな一枚岩を使っていることなども確認できました。

 

上の写真は、その竜泉の内部を撮影したものの1枚で、撮影ポイントは出口から約40m中に入ったところ、狭い上、水が流れ落ちる中で、なんとか水滴に邪魔されずに撮影できた貴重なカットです。

ちなみに、地元の方によると、少し無理をすれば、まだここから奥に入っていけるそうですが、調査はここまでにさせていただきました。

 

一説には、全長200mにも及ぶとされる竜泉寺の暗渠水道。

その流路上にあたる地表面だけは、雪解けが早いという噂もあるので、今後の調査は地上からアプローチしていこうと思います。

猿のももひき。

2013.12.13

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先週、養老山地の頂上近くで、「ヒカゲノカズラ」を見つけました。

 

天岩戸伝説で、アメノウズメが身につけたともされている蔓状の植物で、身につけるものに例えられて、いろいろな異名がついているみたいですね。

 

ちなみに、養老での異名は「サルノモモヒキ」になります。

 

モモヒキというところが、養老町らしいですかね・・

養老寺の隠れ小屋。

2013.12.12

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養老の滝の少し北に、「隠れ小屋」と呼ばれる石室が残っています。

 

永禄5年(1562)に、養老寺が信長の兵火に罹って建物が焼失したとき、ここに十一面千手観音不動明王釈迦如来などを避難させたと伝わることから、このような名称で呼ばれるようになったそうなのですが・・

 

幅が1mほどしかなく、それらを一度に隠すには、ちょっと狭いような気がしますよね。

 

とはいえ、養老寺周辺では、他にこうした場所は見つかっておらず、勢至寺跡や柏尾廃寺跡で見つかっている洞穴と同じような意味をもっていたかもしれないので、ひき続き調べてみようと思っています。

はりん子。

2013.12.11

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養老町子ども会は、「はりん子」という機関誌を発行しています。

 

これは、子ども会活動に対する地域の方々の理解を深めてもらうために実施しているもので、7・10・12・2月の年4回、町の広報「ようろう」とともに各家庭に配布されています。

 

その内容は、各単位子ども会による自分たちの活動紹介が中心ですが、はりん子を発行しはじめた当初は、保護者の中から選出された広報部員が、自分が住む地区とは別の子ども会にカメラを持って取材に行き、記事を書いていました。

 

ちなみに、機関紙を発行するまでは、町の広報が活動紹介の場だったそうですが、平成2年からは単独で機関紙を発行するようになりました。

機関紙の名称は町内から応募いただいた中から選ばれたもので、ハリヨという養老町を代表する魚が、巣を作って家庭を大切にする魚であり、さらに「はりんこ」という可愛い呼び方があったことが決め手になったみたいです。

 

そんな「はりん子」も、この12月で23年目。第84号を発行いたしました。

 

掲載された記事の数々は、子ども会活動への理解を深めるだけでなく、地域の方々が自分たちで調べまとめた記事でもあるので、きっと将来は貴重な歴史資料の一つになっていると思います。

 

ぜひ毎号、ご覧になってみてください。

千歳楼使用規程。

2013.12.10

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先日、養老町の白石で、千歳楼使用規程を見せていただくことができました。

 

養老郡役所によって作成されたもので、明治33年(1900)5月から運用されたものみたいですね。

おそらく、郡制が実施され、多藝郡が養老郡に改まったことで、新しい使用規程がつくられたんだと思います。

 

内容としては、使用に際して事前に管理郡長の許可が必要であることなど、施設の使用規程としては一般的なものが中心なのですが・・

 

最後の条に、公園保存基本金として10円以上を寄附したものは特待員として登録し、特待員やその家族が千歳楼を使用する場合には、使用料が免除されることが記されていました。

 

養老公園開設時以降、年額10円以上の寄附をした偕楽社員には無料で開放されていた千歳楼。

きっと、偕楽社が解散し、多藝郡や養老郡に公園管理が移管された後にも、寄附をされる方はあったんでしょうね。

三方山スキー場跡。

2013.12.09

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先週の金曜日、三方山スキー場の現地確認に行ってきました。

 

三方山スキー場というのは、昨年「養老スキー場」として紹介したもので、その後、昭和6年(1931)の借地契約書が見つかり、三方山近くの笹原峠にあったことが明らかになっていました。

 

上の写真が、そのスキー場があった場所を撮影したものになります。

当時の写真と同じ視点から撮影してみました。

 

案内していただいた白石の方によると、昔はもっと笹が多かったようですが、今はアセビの方が目立つようになっていましたね。

ひょっとしたら、鹿が増えてきていることに因るのかもしれません・・

 

この他には、当時の休憩小屋跡なども確認することができました。

 

それにしても、養老の滝からスキー場まで登るのにかかった時間は、おおよそ1時間30分。

当時の人たちが、板を担いで登っていたことを思うと、なんとなくこのスキー場が長続きしなかった理由が分かるような気がしますね。

田中道麿翁歌碑建立への寄附金。

2013.12.06

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今週の火曜日、田中道麿翁の歌碑を建立するための寄附がありました。

ありがとうございます。

 

田中道麿翁とは、養老町飯ノ木出身の国学者で、万葉集を研究する傍ら、多くの歌を読まれた方なのですが・・

実は、これまで養老町には一つも道麿翁の歌碑が建てられたことがありませんでした。

 

ちなみに、刻まれる歌は、道麿翁が故郷を詠んだものの中から、「わが庵は 老を養う滝つせの 枕にひびく 多芸の野の原」が選ばれました。

 

年明けには建立される予定ですので、ぜひ楽しみにお待ちください。

勢至の愛宕地蔵。

2013.12.05

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養老町勢至には、滋賀県長浜市の姉川から戻ってこられたお地蔵様がいます。

 

戻ってきたのは大正年間のことで、勢至から長浜へ養子にいかれた方の夢に出てきて、「帰りたい。帰りたい。」とおっしゃったため、その方が背中に背負い、10里(約40km)の道のりを歩いて、今の場所に戻したそうです。 

ちなみに、お地蔵様が姉川へ移ったのは、勢至が衰退する中世末期のことと伝わっているみたいですね。

 

なぜか、地元では愛宕地蔵と呼ばれているのですが、その理由はよく分かっていません。

 

ただ、当番によって、毎日御佛飯とお水がお供えされるなど、大切にお世話されていますし、お堂のある場所は見晴らしが大変素晴らしいので、お地蔵様もきっと今の場所に満足されていると思います。

やどりぎ。

2013.12.04

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養老町飯田の小畑川堤防で、やどりぎを見かけました。

 

やどりぎというのは、他の樹木の幹に根を食いこませ、栄養や水分をもらって成長する木のことです。

鳥によって運ばれるなどした種子が発芽し、50センチほどの球状に育つみたいですね。

 

養老町ではよく見かけるもので、どちらかというと、もとの木を枯らしてしまうなど悪いイメージを持っていましたが、鳥類に休憩や巣作りの場を提供したりするなど、自然環境に良い影響もあるんだそうです。

 

今は葉が落ちて、やどりぎの存在を見つけやすい時期なので、紅葉が終わった後の樹木にもぜひ注目してみてください。

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