養老町の歴史文化資源の発見・普及を目指して設立した当ホームページは、「私たちが暮らす養老町への関心を喚起すること」を目的に運営しています。

養老町の歴史文化資源

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船附の沖積世基底礫層。

2014.01.16

hunatukekiteirekisou.JPG

 

先日、養老町船附で地盤調査を行っていた方から、その周辺の沖積世基底礫層の深さが地表下約68mであることを教えていただきました。

 

ちなみに、沖積世基底礫層(ちゅうせきせいきていれきそう)とは、洪積世と沖積世の境界をなす堆積層のこと。

大雑把にいうと、約1万年前の地表面を形成していた土層のことになります。

 

これまで、養老町の沖積世基底礫層の深さは、おおよそ地表下50~70mの間に収まるものと勝手に思っていましたが、養老町でも東部に位置する船附で68mを測ることを考えると、町内には70m以上の深さに達しているところもあるかもしれませんね。

 

話しを聞く程度ですが、引き続き情報収集を続け、養老町の最終氷期を考える手掛かりにしたいと思います。

一夜地蔵。

2014.01.15

onosizou1.JPG

 

養老町大野の覚林寺の西側には、一夜地蔵と呼ばれているお地蔵さまがいます。

 

養老町史によると、大正時代中頃のある夜、だれかが大野の堤防にお地蔵さんを置いていったため、一夜のうちに突然現れたことから、一夜地蔵と呼ばれているようです。

村の人からすれば、突然のことだったでしょうが、それでもお堂を建ててお地蔵さまを安置することにされたみたいですね。

 

現地を確認した時に、地元の方に少しお話を伺ってみると、地蔵堂は以前、大野村の堤防にあったようで、大野村が堤防の東から西に移るのに伴い、一夜地蔵を現在地に移したことを教えていただきました。

ただ、大野村が移動した時期や状況があまりはっきりと分からないので、もう少し調べてみる必要がありそうです。

 

ちなみに、お地蔵さまの足元の石台には「大野村内二 四十六」と書かれていることも確認できました。

なにか、お地蔵さまを知る手がかりになりますかね。

 

1月24日あたりに初地蔵が行われるそうなので、私もお参りに行って、もう少し詳しくお話を伺いたいと思います。

 

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桜井の粥占い。

2014.01.14

sakuraikayuuranai.JPG

 

養老町には、粥占い(かゆうらない)といわれる、小豆粥で、その年の作柄を占う風習が残っています。

 

大釜で小豆粥を煮る際に、竹の管を入れ、小豆や粥の詰まり具合を見て占うというもので、小正月の頃に、左義長とあわせて行われることが一般的ですが、作柄数や天候、全体運など、占う内容は、地区ごとにそれぞれ異なっています。

 

ちなみに、上の写真は、この月曜日に桜井区で行われた粥占いの様子を撮影したものです。

 

春作の部の、麻・小麦・紫雲英(レンゲ)・大豆・小豆・落花生・芋・甘藷(サツマイモ)の8品目と、夏作の部からの、山科・こしひかり・早生餅・日本晴・中生千本・初霜・晩生餅の7品目に、照りと総札を加え、全17項目が占われていました。

 

その結果は、総札が7分と、全体的には、去年よりも良い結果が得られていましたが・・

春作の部では、芋の2分など、やや不安の残る結果もでていました。

 

少し注意が必要ですかね。

広幡の由来。

2014.01.10

kutigashimahatiman.jpg

 

養老町に広幡(ひろはた)という名称が生まれたのは、明治30年(1897)に、飯ノ木村・大跡村・口ケ島村・西岩道村・岩道村が合併して、広幡村が誕生したときでした。

 

その後、広幡村は合併して養老町になりますが、「広幡」の名称は、現在でも、地区名や小学校、公民館などに残されています。

 

そんな「広幡」の名称ですが、実はその由来は、村中が広く八幡神社の氏子であるからというものでした。

 

確かに、いわれてみれば、飯ノ木や口ケ島、西岩道の氏神様は八幡神社ですよね。

また、大跡の六社神社にも八幡神社が祀られています。

 

ただ、岩道の氏神様だけは、八幡神社ではなく、早扉(はやと)神社ですよね。

 

広幡の名称が生まれるとき、岩道の人たちがどのように感じたのか、ちょっと気になります・・

烏江の地名の由来。

2014.01.09

karasue.jpg

 

養老町には、烏江(からすえ)という地名があります。

 

ちょうど、養老鉄道が牧田川を渡るあたりのことで、江戸時代には、ここで牧田川と杭瀬川が合流していて、烏江は川湊として栄えました。

 

ちなみに、烏江という地名の由来も、中国貴州省で南北2つの大きな川が合流する烏江(うこう)という場所と風景がよく似ていたために付いたとされているみたいですね。

 

現在、牧田川と杭瀬川は分流されており、烏江(からすえ)に烏江(うこう)の面影はあまり残っていませんが、近くを通りがかった際には、二つの大きな川が合流していた昔の烏江の様子も想像してみて下さい。

昭和11年の高田商店街。

2014.01.08

S11takada.JPG

 

先日、昭和11年(1936)に撮影された高田商店街の写真を見せていただく機会がありました。

 

高田中町で仕出しを生業としていた家のご主人が亡くなったときのお葬式の様子を撮影したもので、位置関係としては、一番手前に写っている電柱の位置が、中町と西町の境だと思います。

 

近代の高田商店街の様子が分かる貴重な一枚で、棺の四隅に孫灯籠が写り込んでいたりと、当時の養老町のお葬式の様子を知る上でも、いくつか参考になる点がありました。

 

ただ、そんな中で、ちょっと気になったのが、左下に写り込んだ喪主の家の前に立てられたしきび(樒)の位置。

隅っこなので、はっきりとは分かりませんが、通りに合わせて立ててあるような気がしますよね。

 

養老町のお葬式では、しきびは、喪主の玄関口に立てられるのが一般的で、村葬などの場合に、式場の入口に立てられているのは見たことがあるのですが、道の真ん中に立ててあるものは初めてでした。

 

大きなお葬式のようなので、そのためなんですかね・・

また、機会を見て、高田の方に理由を尋ねてみようと思います。

別庄古墳群の副葬品。

2014.01.07

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先日、「郡内古墳発掘物」というメモがついた写真を見る機会に恵まれました。

 

古墳名は明記されていませんでしたが、添えられていた個人名から、養老町史通史編で、別庄1号墳の東隣にあった円墳から、宅地造成の際に出土したと紹介されている副葬品を撮影したものだと思います。

 

ちなみに、別庄1号墳とは、現在、象鼻山70号墳とされている古墳のこと。

その東隣の古墳から出土したとされる副葬品の情報は、これまでずっと探し続けていたものだったので、初めて見たときは、とても驚きました。

 

ただ、町史で直剣(両刃)とされていた副葬品は、ひょっとしたら鉄刀(片刃)なのかもしれませんね。

また、写真の観察だけで、あまり詳しいことは分かりませんが、2振のうち1振には鍔があるようにも見えます。

 

郡史や町史の記述によると、発掘された別庄古墳群の副葬品には、このほかにも須恵器や朱壺などがあったようなので、引き続き情報収集を続け、象鼻山古墳群の性格を解き明かすのに役立てたいと思います。

きのこワークショップの申し込みを締め切りました。

2014.01.06

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新年、あけましておめでとうございます。

今年も当ホームページをよろしくお願いいたします。

 

さて、養老町広報1月号とともに、回覧で参加者募集した「きのこワークショップ」ですが、参加者が定員に達しましたので、募集を締め切らせていただきました。

多数のご応募ありがとうございました。

山田貞策さんの情報を追加しました。

2013.12.27

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当ホームページの「郷土の先人」のコーナーに、新しく山田貞策さんの情報を追加しました。

 

昨年からの課題だったので、今年中にはなんとかと思っていたのですが・・

結局ぎりぎりの対応になってしまいました。

 

それに、その幅広い活躍から、ちょっと文章が長くなってしまっていますね・・

また、少し時間をおいて、読みやすくなるように修正したいと思います。

 

さて、養老町役場も今日で仕事納めになりました。

仕事始めは6日(月)からになります。

 

来年も、引き続き、当ホームページをよろしくお願い致します。

 

ojigi-tagizou_w200.jpg

鬼面山谷五郎の灯明。

2013.12.26

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養老町鷲巣の白山神社の境内に、養老町出身で、岐阜県で唯一の横綱である鬼面山谷五郎が寄進した灯明があります。

 

文久元年(1861)に、三役に昇進した鬼面山が、故郷である養老町で父親の追善相撲を催した際に、寄附されたものみたいですね。

確か、故郷に戻った鬼面山が、水害で困窮していた鷲巣の住民に十両を配ったという出来事を記録した古文書の年代も、文久元年だったと思います。

 

根拠となった資料を見たことがないので確かなことは分かりませんが、ひょっとしたら、灯明と十両の寄附は一連の出来事だったのかもしれませんね。

勢至にあったムクノキ。

2013.12.25

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養老町勢至には、とても大きなムクノキがありました。

 

場所は、神明神社東の遊具があるあたりで、大人4人が手を広げてやっと取り囲める大きさだったそうです。

 

しかし、そんな立派なムクノキも、昭和34年の伊勢湾台風で、人の背の高さほどのところから折れてしまいました。

幹の3分の1ほどが空洞になっていたそうなので、ずいぶん弱っていたのかもしれませんね。

 

また、この伊勢湾台風での勢至の樹木被害は、ムクノキだけに止まらず、集落の南側を中心にスギやヒノキ、イチョウなどの木にまで及んだそうです。

 

地元の方によると、岐阜県の天然記念物に指定されている竜泉寺のムクノキよりも大きかったという勢至のムクノキ。 

一度、見てみたかったです。

象鼻山の冬至。

2013.12.24

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22日の冬至に合わせ、象鼻山の日の出の位置を確認してきました。

 

観測地点は象鼻山1号墳の後方部で、観測時刻は6時57分です。

 

手元のコンパスで、古墳の主軸(北北西-南南東)から約30°ほど振った位置からの日の出でしたが・・ 

これが象鼻山1号墳の諸要素と関係があるかどうかについてはよくわかりませんでした。

 

来年は、少し観測地点を変えてみる必要がありますかね。

 

とはいえ、眺望の良い象鼻山から冬至の日の出を見ることができただけでも、十分に早起きした価値はありました。

 

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象鼻山3号墳から見た冬至の日の出

ヤツデ。

2013.12.20

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今日、養老町高田の除川(よげがわ)沿いで、ヤツデを見かけました。

 

葉が7~9つに切れ込んでいて、手のひらのような形をしていることから、ヤツデと呼ばれていて、日陰に強く、気温や水やりにもあまり気を使わなくてもよい、育てやすい植物みたいですね。

 

詳しくは分かりませんが、養老町をはじめこのあたりでは家の入口で見かけることが多く、大きな手のような葉が人を招くように見えることから、「先客万来」の縁起を担いで植えられているか、もしくは「テングノウチワ」といった異名が示すように、「魔除け」の意味で植えられているんだと思います。

 

人によって好みが分かれるみたいですが、ちょうど今が、花が咲く時期なので、少し気にかけてみてください。 

 

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船見の神明神社。

2013.12.19

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養老町船見には、地元の氏神として、大切にお守りされている神明神社があります。

祭神は、天照大神と豊受姫神で、年に4回、祭礼も行われています。

 

ただ、どうも、養老町船見の人たちは、明治25年(1892)までは、養老町若宮にある八幡神社を氏神としていたみたいですね。

しかし、この年、新たに多藝村字前田(現在の養老町三神町)から、神明神社をお迎えすることになり、若宮八幡神社からは分離することを決めたようです。

 

それにしても、 どうして神明神社は、約5kmも離れた船見に遷座することになったんですかね・・

 

理由はよく分かりませんが、船見は、それまで養老町若宮とともに、八幡神社を約200年間お守りしてきていたので、きっと大きな決断だったでしょうね。

文化財の収蔵設備。

2013.12.18

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養老町では、現在、公共施設の一部を改修して、文化財の収蔵スペースを確保するための工事を進めています。

 

限られた条件の中での実施であるため、収蔵設備に求められる配慮について課題がないわけではありませんが・・

それでも、これまでの養老町の環境を考えれば、大きな前進になると思います。

 

完成は年が明けてからの予定で、その後には文化財の搬入や整理作業が必要ですが、来年度には、これまでよりも文化財を活用しやすい環境が得られそうです。

荻生徂徠の書。

2013.12.17

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養北小学校の校長室には、荻生徂徠の書が掲げられています。

 

これは、昭和10年頃に、飯田村出身で当時京都に在住していた若山一二(いちじ)さんから、母校であった小畑尋常高等小学校に寄贈されたものです。

 

ちなみに、書かれている内容は「鶴壽 茂卿(しげのり)」で、鶴壽には、鶴が千年の寿命を保つといわれるところから長寿の意味があり、茂卿は荻生徂徠の字(あざな)になります。

 

養老町に直接関係はありませんが、貴重なものなので、機会があればぜひご覧になってみてください。

竜泉。

2013.12.16

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養老町竜泉寺の山中には、地名の由来になったともいわれる、長さ70m以上・内法約60cm四方の堅固な暗渠水道が残っています。

 

竜泉と呼ばれていて、町史などで、「大鐘乳洞の水を導いているようである。途中まで這って入ることができ、石積みの内部が鐘乳化していることから非常に古い時代のもので、おそらく竜泉寺創建の際に構築されたと思われる。」と紹介されていることから、ずっとその内部が気になっていたのですが・・

 

今日、ついに地元の方々の協力を得て、竜泉の内部確認を行うことができました。

ありがとうございます。

 

個人的には、これが中世竜泉寺の遺構である可能性を探ることが最大の目標でしたが、これについての手掛かりは得られませんでした。

 

そもそも、いつ、誰が、何のために、こんなものを必要としたんでしょうね。

 

分からないことばかりですが、水が流れ落ちる内部にカメラを持ち込むことができたことで、これまでになかった映像データを得ることができたと思います。 

また、鍾乳化した側壁や、内部が徐々に上がっていくこと、天井石に大きな一枚岩を使っていることなども確認できました。

 

上の写真は、その竜泉の内部を撮影したものの1枚で、撮影ポイントは出口から約40m中に入ったところ、狭い上、水が流れ落ちる中で、なんとか水滴に邪魔されずに撮影できた貴重なカットです。

ちなみに、地元の方によると、少し無理をすれば、まだここから奥に入っていけるそうですが、調査はここまでにさせていただきました。

 

一説には、全長200mにも及ぶとされる竜泉寺の暗渠水道。

その流路上にあたる地表面だけは、雪解けが早いという噂もあるので、今後の調査は地上からアプローチしていこうと思います。

猿のももひき。

2013.12.13

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先週、養老山地の頂上近くで、「ヒカゲノカズラ」を見つけました。

 

天岩戸伝説で、アメノウズメが身につけたともされている蔓状の植物で、身につけるものに例えられて、いろいろな異名がついているみたいですね。

 

ちなみに、養老での異名は「サルノモモヒキ」になります。

 

モモヒキというところが、養老町らしいですかね・・

養老寺の隠れ小屋。

2013.12.12

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養老の滝の少し北に、「隠れ小屋」と呼ばれる石室が残っています。

 

永禄5年(1562)に、養老寺が信長の兵火に罹って建物が焼失したとき、ここに十一面千手観音不動明王釈迦如来などを避難させたと伝わることから、このような名称で呼ばれるようになったそうなのですが・・

 

幅が1mほどしかなく、それらを一度に隠すには、ちょっと狭いような気がしますよね。

 

とはいえ、養老寺周辺では、他にこうした場所は見つかっておらず、勢至寺跡や柏尾廃寺跡で見つかっている洞穴と同じような意味をもっていたかもしれないので、ひき続き調べてみようと思っています。

はりん子。

2013.12.11

harinkono1.JPG

 

養老町子ども会は、「はりん子」という機関誌を発行しています。

 

これは、子ども会活動に対する地域の方々の理解を深めてもらうために実施しているもので、7・10・12・2月の年4回、町の広報「ようろう」とともに各家庭に配布されています。

 

その内容は、各単位子ども会による自分たちの活動紹介が中心ですが、はりん子を発行しはじめた当初は、保護者の中から選出された広報部員が、自分が住む地区とは別の子ども会にカメラを持って取材に行き、記事を書いていました。

 

ちなみに、機関紙を発行するまでは、町の広報が活動紹介の場だったそうですが、平成2年からは単独で機関紙を発行するようになりました。

機関紙の名称は町内から応募いただいた中から選ばれたもので、ハリヨという養老町を代表する魚が、巣を作って家庭を大切にする魚であり、さらに「はりんこ」という可愛い呼び方があったことが決め手になったみたいです。

 

そんな「はりん子」も、この12月で23年目。第84号を発行いたしました。

 

掲載された記事の数々は、子ども会活動への理解を深めるだけでなく、地域の方々が自分たちで調べまとめた記事でもあるので、きっと将来は貴重な歴史資料の一つになっていると思います。

 

ぜひ毎号、ご覧になってみてください。

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