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火打石ワークショップ参加者募集。
2014.07.01
養老町教育委員会では、今年も、養老町こども歴史ワークショップ「養老石で火をおこそう」を開催します。
日時は、夏休みの自由研究に対応しやすい、平成26年7月27日(日)の9時30分からで、会場は、養老町石畑のふれあいセンター養老です。
参加は無料で、定員は20組50名までになります。
1組につき高校生以下1名を参加させるようにして、事前に、電話で養老町教育委員会生涯学習課0584-32-5086まで申し込みしてください。
駐車場も用意していますし、参加者には、火おこしに必要な火打石と火打金を持ち帰って頂ける特典も付いています。
また、今年は例年の内容のほかに、着火材となる火口(ほくち)の作り方も、プログラムに含めています。
ぜひ親子などでご参加ください。
「クイズラリー」チラシ作成中。
2014.06.27
今年も、夏休みとともに開始する「タギゾウくんのクイズラリー」ですが、現在、チラシの作成を進めています。
ちなみに、今回のチラシは、これまでとは違い、A3判二つ折り。
きっと、前回よりも手ごたえのある内容に仕上がると思いますので、ぜひ楽しみにお待ちください。
株井戸鑑札。
2014.06.23
江戸時代、養老町のような輪中地帯では、井戸の掘削は容易であった一方、地上に噴き出した水を排水するのは大変なことでした。
そのため、上流側の村と、下流側の村との間には、井戸の本数を制限する取り決めが交わされ、許しのない井戸は掘ることができませんでした。
これを「株井戸(かぶいど)制」といいます。
ちなみに、下笠輪中では、
・掘り抜き井戸の所有者には、鑑札を渡し、井戸の現場にも標木を置くこと。
・新しく井戸を掘らないこと。
・もし、こっそり井戸を掘った場合、罰則を課し、井戸もすぐ埋めてしまうこと。
・どうしても井戸が必要なときは、定まった金額を支払うこと。
などの取り決めがありました。
ただ、実際には、無許可の井戸が発見されることもあり、定期的なチェックが行われていたみたいです。
上の画像は、そんな井戸の許可証である「株井戸鑑札」を撮影したもの。
実物は、養老町郷土資料館にありますので、興味のある方は、見に行ってみてください。
「H26タギゾウくんのクイズラリー」の準備。
2014.06.16
養老町教育委員会では、今年度も「タギゾウくんのクイズラリー」の準備を進めています。
このイベントは、養老町の文化遺産をもっとよく知ってもらうために実施している夏休み限定の企画で、期間中にいくつかの文化遺産を訪れクイズに答えると、タギゾウくん特別賞がもらえるというもの。
今年で3回目を迎えるタギゾウくん特別賞については、「はっちゃん」をあしらったものにする予定です。
詳細については、夏休み前に、改めて当ホームページとチラシで広報いたします。
参加者に制限は設けませんので、ぜひ、楽しみにお待ちください。
祖父江の伏越樋管。
2014.06.11
杭瀬川に隣接する養老町の祖父江ですが、輪中形成による河床高の上昇により、杭瀬川に排水できなくなったため、杭瀬川を横切り、大垣市域を通して、揖斐川に排水していた時期がありました。
そんな大変な計画を支えたのが、川底に川を横切るように作られた伏越樋管(ふせこしひかん)という排水路。
ヒノキの板を組み合わせたもので、養老町江月に排水機が設置されるまで、約130年間、機能していたようです。
ちなみに、地元の方によると、まだその痕跡が杭瀬川に残っているみたいなので、近いうちに、現地を確認してみようと思っています。
高田の山羊牧場。
2014.06.10
先日、大正年間の養老町高田に山羊牧場があったかもしれないということを知りました。
町史などに記録が見当たらないため、詳しいことは分かっていませんが・・
実在したならば、どんな商品を扱っていたのか、とても気になります。
玉泉堂酒造の登録文化財プレート。
2014.06.04
文化庁から、玉泉堂酒造に登録有形文化財のプレートが届きました。
養老町では、これが初めての登録文化財プレートになるので、この機会に、一度、手にとらせて頂いたのですが・・
思ったよりも重たくて、びっくりしました。
建造物に設置されるのはこれからですが、高田の町並みの中に、このプレートが加わるのが、今からとても楽しみです。
H26マイタケ生育状況1。
2014.05.29
2月8日に菌の接種をおこなったマイタケ原木ですが、3ヶ月半ほどで、ずいぶんと菌がまわりました。
中には、樹皮にまで菌がまわっていないものもありますが、まだ「伏せ込み」の工程まで2ヶ月近くあるので、たぶん大丈夫ですよね。
ただ、今年は去年と違い、明らかに雑菌が混入したものも・・
触るのも躊躇してしまうような雰囲気ですが、一方で伏せ込むと何が起きるのか好奇心が隠せない自分もいます。
養老公園の野村モミジ。
2014.05.28
5月になって、養老公園の野村モミジが見頃を迎えています。
ちなみに、野村モミジとは一般的な楓とは異なり、春から秋まで美しい紅葉が続くモミジのこと。
中でも、新緑に混じるこの時期は、特にその美しさが目を引きますよね。
そんな、野村モミジですが、実は養老山中で発見されたという説が有力。
その根拠となっているのが「織田河内守由来帳」という寛永10年(1633)の資料で、大野町史史料編にその内容が掲載されています。
興味のある方は、ぜひ調べてみてください。
茶室にあしらわれた古代の瓦。
2014.05.22
養老町の、近代に建てられたある茶室の調査に同行させていただいた際、茶室の一部に、遺物があしらわれているのを見つけました。
埋め込まれているため、全体の観察はできていませんが、まず間違いなく、古代の軒丸瓦と軒平瓦だと思います。
古代における瓦は、現代とは違って、限られた建物にしか使用されないため、過去を探る上で、貴重な手掛かりになるもの。
そのため、どうしてこのような使われ方をしているのか不思議に思い、調査担当の先生に尋ねてみたところ・・
近代においては、こうした遺跡で発掘された遺物を、好んで建造物の意匠に用いる例が意外に多いということを教えていただきました。
ちなみに、この茶室で使用されていた場所は、外腰掛と呼ばれる部分。
つまりは、古代瓦の上に座布団などを敷いて座っていたということなんでしょうね・・
大垣市からの見学者。
2014.05.21
先週の土曜日、お隣の大垣市から、養老町の文化財の見学に来ていただくことができました。
ほぼ丸1日のスケジュールだったので、「象鼻山古墳群」「柏尾廃寺跡」「養老公園」の3箇所を、ご案内させていただいたのですが、いかがだったでしょうか。
いずれも、養老町を代表する歴史スポットではあるのですが、すべて山の中なので、身体的に無理をさせてしまっていないか、少し心配になりました・・
あと、印象的だったのが、お隣の市に住んでいるにも関わらず、「初めて訪れた」とおっしゃる方が多かったこと。
いわれてみれば、お隣でも、自治体を超えて文化財の見学に行く機会というのは、意外に少ないのかもしれませんね。
象鼻山にヤマツツジが戻ってきました。
2014.05.19
象鼻山にヤマツツジの花が戻ってきました。
私の知る限りでも、花が見られなくなってから、もう10年以上が経過していましたが、やはりシカの食害が原因だったんですね。
昨年の10月に、象鼻山整備促進協議会によって設置された獣害防止策が、早くも効果を発揮しました。
とはいえ、花の数はまだ少なめ。
それほど長くはもたないでしょうから、ぜひ早めに、ご覧になってみてください。
竜泉寺の阿弥陀堂跡。
2014.05.16
先日、竜泉寺廃寺跡内で、竜泉寺古墳より東側に広がる平坦部付近に「阿弥陀堂跡」という名称が付いていたということを知りました。
また、過去には、ここで2本の独鈷杵が発見されていたみたいです。
養老町教育委員会の調査でも、その辺りに中世の遺物がたくさん分布していることは確認できていましたが、独鈷杵が発見されていたという情報は全く得られていなかったので、とても驚きました。
この情報を踏まえ、近いうちにもう一度、現地周辺をよく確認してみようと思います。
今週末は高田祭です。
2014.05.12
薩摩義士顕彰會會則。
2014.05.09
大正14年(1925)に設立された薩摩義士顕彰會の會則を「タギゾウくんの収蔵庫」に公開しました。
画像が大きいため、ダウンロードしないと文字は読めませんが、山田貞策翁が薩摩義士顕彰会を結成した目的が明快に記されているほか、薩摩義士の事績顕彰の手段として、会に演芸部を設け、浄瑠璃や講談などを活用しようとしていたことが分かる面白い資料ですので、ぜひ目を通してみてください。
養老説教場の土器片。
2014.05.08
先日、大正14年(1925)に行われた聞き取り調査資料の中に、「説教場建設ノ際泉水ヲ穿テル時土中ヨリ古土器ノ破片現ハレタル」という一文を見つけました。
出土した資料の特徴は記されていなかったため、詳しいことは分かりませんが、おそらく養老説教場付近に遺跡があるんでしょうね。
これまで全く把握できていなかった情報なので、近々現地を確認してみたいと思います。
勢至寺の2つの坊。
2014.05.02
養老町勢至の山中には、中世寺院跡が残っています。
この中世寺院跡、養老町史史料編に掲載されている応永22年(1415)の資料から、勢至寺と呼ばれていた可能性が高いことが分かっているのですが・・
さらに、同じ資料から、この勢至寺には少なくとも、別當坊と持宝坊という2つの坊があった可能性が高いことも指摘できています。
ただ、現在のところ、これらの坊が、それぞれ、現地のどのあたりにあたるのかがよく分かっていません。
この中世寺院跡には、少なくとも2つ以上の墓域があるようなので、そうした情報を手がかりに、もう少し、詳しく調べてみたいと思います。
往古ハ牧田川、今ハ金草川。
2014.05.01
先日、江戸時代の絵図の中に、「往古は牧田川通り 今は金草川という」と書かれた一文を見つけました。
養老町の地形環境を考えれば、牧田川の流路が徐々に、養老山麓から離れていったことは明らかだとは思いますが・・
それを、江戸時代の絵図の中で、追認できるとは思っていなかったので、とても驚きました。
こういった資料を目にすると、津屋川についても何か残っていないかと、つい淡い期待を膨らませてしまいますね。
平田靱負翁終焉地碑の設置風景。
2014.04.28
先日、大巻薩摩工事役館跡に、平田靱負翁終焉地碑を建立している工事風景を撮影した写真を見る機会がありました。
正確な撮影日は不明ですが、除幕式における山田貞策翁の式辞に記された日付が昭和3年(1928)5月6日になっているので、それよりも少し前に撮影されたものだと思います。
ちなみに、この記念碑の建立は、大正14年(1925)の薩摩義士顕彰会発足当時から計画されていた事業の一つ。
そのため、約3年かけて実現にこぎつけたことが分かりますよね。
ただ、ここで少し気になるのが、この記念碑設置と並んで、もう一つ予定されていた養老公園付近での記念館設置計画については、着手した形跡が見つかっていないこと・・
こちらは、どんな事情があったんでしょうね。
大垣市静里の養老公園道標。
2014.04.25
隣接する大垣市の有形民俗文化財である「塩田の常夜灯」のそばに、西面「従是 養老公園道」、南面「養老ヘ三里 高田ヘ貮里」、東面「明治十三年十月 大垣本町 久保田鐵蔵 建立」と刻まれた道標が建っています。
詳しいことは分かりませんが、美濃路沿いで、養老街道の起点にあたる場所に、養老公園が開園した明治13年(1880)10月に、養老公園までの道を示す道標を建てて下さった方がいたということですよね。
大垣本町の久保田鐵蔵さんとは、どんな人物だったのか・・
少し気になりますね。