養老町の歴史文化資源の発見・普及を目指して設立した当ホームページは、「私たちが暮らす養老町への関心を喚起すること」を目的に運営しています。



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養北小学校のふるさと探検。

2014.04.11

zoubiyouhokuh26.JPG

 

今日は、養北小学校6年生の総合的な学習の時間として、象鼻山古墳群を学習するのに同行させていただくことができました。

ありがとうございます。

 

ちなみに、今年の養北小学校の総合的な学習の時間のテーマは「福祉」だったようなので、なるべく象鼻山古墳群をはじめとする日吉・小畑地区の文化遺産の中にテーマにあった素材を探してみたのですが・・

ちょっと、悩んでしまいました。

 

一つの文化遺産でも、見方を変えれば、違う一面が見えてくるのも歴史の面白いところ。

それが子どもたちにも伝えられるよう、次の機会までに、もう少し工夫しておきたいと思います。

薩摩義士顕彰会春季慰霊祭が終了しました。

2014.04.10

H26satumaodori.bmp

 

今日、養老町大巻の薩摩工事役館跡で、薩摩義士顕彰会春季慰霊祭が執行されました。

 

およそ290名の方にご参加いただき、宝暦の治水工事が始まってからちょうど260年目を迎える今年も、無事に慰霊祭を終えることができました。

 

天気にも恵まれ、池辺小学校6年生によって奉納された薩摩踊りは、桜吹雪によく似合っていて、とても印象的でした。

 

H26ireisai.bmp

明日は薩摩義士春季慰霊祭です。

2014.04.09

ojigi-tagizou_w200.jpg

 

明日、10時から大巻薩摩工事役館跡において、養老町薩摩義士顕彰会による薩摩義士春季慰霊祭が執行されます。

天気も良さそうですし、どなたでもご参拝いただけますので、ぜひお出かけください。

宇田西の道標。

2014.04.08

utanishidouhyoutji.JPG

 

養老町の宇田西には、燈明の足元に道標が建てられたT字路があります。

 

この道標、向かって手前の南面には「右 あか坂 大かき 左 宮代 表佐 たるい」と刻まれ、西面には「右 たかた やうろふ道」と刻まれているのですが、北面には案内がなく、西面でも左に曲がったときの案内がありません。

 

これは、石の形が悪いことや、立ち止まりよく見れば、道がどこに続くのか分かるためといった理由ではなく・・

 

この道が主に高田と垂井を結ぶメインルートであり、ここで道がくの字に折れ曲がっていたことがその原因になります。 

つまり、この道案内を必要とする人の多くが垂井と高田を往来する人だったということです。

 

ちなみに、高田と大垣を往来するメインルートは別にあり、直江や飯田を経由していました。

 

この道標の情報は「タギゾウくんの養老ナビ」にも掲載してあります。

興味のある方は、ぜひ現地を訪ねてみてください。

 

utanishidouhyounews.JPG

小栗栖神社の蛇踊り。

2014.04.07

ogurisujaodori.jpg

 

養老町室原には、「小栗栖(おぐるす)神社」という、南宮大社から大雨で流された小栗栖の神様がここに止まったことに由来する神社があります。

 

養老町でも古くからあるとされる神社の一つで、美濃国神名帳にもその名が記載されているのですが・・

昭和34年の伊勢湾台風でも、逆水で御神体が垂井町方向に流されたりしていて、何かと水難の多い場所だったみたいですね。

 

そんな小栗栖神社ですが、裏の池に長年大蛇が住んでいたが、その大蛇があるとき池から出て、杉の木に登り天にのぼったという言い伝えが残っています。

そのためか、昔の小栗栖神社では、神事のときに蛇を作り、南宮大社に向かって蛇踊りを奉納していたみたいですね。

 

蛇踊りは、南宮大社の例大祭で見ることができるので、どんな踊りだったか大体想像できますが、できればこの目で見てみたかったです。

「養老郡史」PDFデータの公開。

2014.04.04

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当ホームページの電子書庫のコーナーに、テキストデータつきの「養老郡史」PDFデータを公開いたしました。

 

これによって、養老町の歴史研究の基礎をなす、1000ページを超える養老郡史から、文字検索によって必要な情報だけを収集できるようになっています。

 

ぜひ、ご活用ください。

竜泉寺の小さな池。

2014.04.03

ryuusenjinoryuu.JPG

 

養老町には、養老山地が曇るのは、竜泉寺の山頂の小さな池に住む龍が、隣町である海津市南濃町の行基寺裏山に遊びに行っているからだという言い伝えがあります。

 

たしかに、養老山地に沿って長く伸びる雲は、龍のイメージによく合いますよね。

 

ただ、この話で一つ気になるのが、竜泉寺の山頂にあり、どんな日照りにも水がなくならないという小さな池の存在。

今のところ、全く情報が得られていませんが、もし実在するなら、一度はこの目で見てみたいです。

象鼻山の桜が見頃を迎えています。

2014.04.02

zoubihousoubu.JPG

 

今日は、隣接する大垣市の高校から、象鼻山古墳群の取材に来ていただくことができました。

 

天気もよかったので、象鼻山からの眺望や、ここでしか感じることのできない過去の風景をご説明させていただいたのですが、いかがだったでしょうか?

 

これまで何度も説明してきた象鼻山古墳群ですが、ビデオカメラを向けられると、ちょっと構えてしまいますね。

何か間違ったことをいっていないか、ちょっと不安になりました・・

 

そんな象鼻山ですが、桜がちょうど見頃を迎えています。

象鼻山からの眺望もあわせて楽しめますので、ぜひ足を運んでみてください。

「養老ツアー」と「養老ナビ」の公開。

2014.04.01

navi open2.PNG

 

タギゾウくんの養老ツアー」と「タギゾウくんの養老ナビ」が、独自のアプリケーションとしてAppStoreからダウンロードできるようになりました。

無料です。

 

まだ改善が必要な部分はありますが、これまでに養老町教育委員会が収集してきた、たくさんの文化遺産情報への案内サービスが受けられますので、ぜひ試してみてください。

タギゾウくんの養老ツアー。

2014.03.25

tourjunbi.jpg

 

養老町教育委員会では、これまで個々別々に紹介してきた文化遺産情報を、いろいろなテーマごとにまとめ、ウォーキングコースなどの新しい形で楽しめる探訪プランを提案するために、「タギゾウくんの養老ツアー」というアプリケーションを制作しました。

 

これは、「タギゾウくんの養老ナビ」と同様に、基本的にはスマートフォンを対象としたサービスになりますが、当ホームページとも連動するため、新たに作成した探訪プランは、スマートフォンだけでなく、養老町の歴史文化資源HPの古道ウォーキングマップでもご覧いただけるようになります。

 

ということで、養老町教育委員会では、当ホームページのリニューアルのため、4月1日まで、最新ニュースの更新をお休みします。

それほど大きな変更にはなりませんが、ぜひ新しくなる「養老町の歴史文化資源」も、よろしくお願いいたします。

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「室原曳軕歌舞伎」の公開。

2014.03.24

muroharahikiyamakabuki.jpg当ホームページの電子書庫のコーナーに、新しく「室原曳軕歌舞伎」のPDFデータを公開しました。

 

これは、養老町の室原地区が、平成6年に、養老町制40周年を記念して、1度だけ、室原祭曳軕子供歌舞伎を復活させた際に、あわせて作成した冊子で、曳軕のことだけでなく、室原地区全体の歴史についても触れられています。

 

協賛企業の広告が多くて、少し読みにくくなっているところがありますが、室原地区が、地元の祭りのために一致団結して作成した貴重な冊子なので、ぜひ、目を通してみてください。

 

 

 

 

篠塚神社の堀。

2014.03.20

shinodukajinjanohori.JPG

 

先日、享保5年(1720)のものとされる橋爪村屋敷絵図の中に、周囲に堀を巡らせた篠塚神社を見つけました。

 

篠塚神社は、もともと象鼻山の麓にありましたが、寛文5年(1665)に起きた「ヤロカの大水」と呼ばれる大洪水で、ご神体が流出し、流れ着いた場所が現在地であったとされている神社。

 

ひょっとしたら、そんな新天地は、城跡であったのかもしれませんね・・

千歳楼が国登録文化財に。

2014.03.19

senzairoutouroku.JPG

 

昨日、国の登録有形文化財(建造物)についての答申が行われ、養老公園の老舗旅館である「千歳楼(せんざいろう)」が、国登録文化財になる見通しとなりました。

 

これで、養老町の国登録文化財は、高田の玉泉堂酒造に続き、2カ所目となります。

 

ちなみに、登録文化財制度というのは、重要文化財指定制度よりも緩やかな規制のもとで、幅広く文化財の保護を図るために生み出された仕組み。

建造物では、築後50年を経過しており、さらに国土の歴史的景観に寄与しているかどうかなどが基準となります。

 

千歳楼では、明治・大正・昭和の各時代の建物が、それぞれに意匠に富んだ上質な近代和風建築であることが決め手になったと思います。

 

大正天皇(嘉仁親王)をはじめ、三条実美や横山大観、谷崎潤一郎、竹内栖鳳など多くの文化人に愛されてきた千歳楼。

その建物が、これからも長く、多くの方々をお迎えしていくための環境が整いつつあることを、とてもうれしく思います。

池辺小学校100周年。

2014.03.18

ikebeshouhyakunen.jpg

 

先日、昭和48年(1973)に、旧池辺小学校が100周年を記念して撮影した航空写真を見る機会がありました。

 

ただ、養老町瑞穂に旧池辺小学校の新校舎が建てられたのは明治31年(1898)のことで、その後、養老町大巻の池辺小学校に移ったのが昭和58年(1983)なので、その期間だけを考えると、旧池辺小学校だけでは100年も経過していませんよね・・

 

そのため、明治6年(1873)が池辺小学校にとってどういった年にあたるのかを確認したところ、明治5年(1872)の学制頒布に伴い、養老町大巻の智通寺に璞玉義校がつくられた年であることを知りました。

 

つまり、池辺小学校の端緒となった璞玉義校が創られてから100周年を記念して、航空写真の撮影を行ったということみたいですね。

 

ちなみに、璞玉(はくぎょく)とは、磨かれるのを待つ玉のこと。

池辺の最初の学校に、ぴったりの名称だと思いました。

土製の双孔円盤。

2014.03.17

soukouenban.JPG

 

養老町宇田の日吉遺跡からは、双孔円盤(そうこうえんばん)と呼ばれる遺物が出土しています。

 

これは、名前のとおり、円盤に二つの穴をあけたものなんですが・・

その用途は明らかになっていません。

 

どちらかといえば、祭祀用具など、実用的ではない用途が想像されているみたいですね。

 

そんな双孔円盤ですが、一般的には石製のものが多い中で、日吉遺跡のものは土製。

それも、元々は土器として利用されていたものの再利用です。

 

このことに、どのような意味があるのか・・

引き続き、地道に調べていきたいと思います。

鐘の供出。

2014.03.14

tetunokyoushutu.jpg

 

先日、戦中の金属不足を補うために、お寺の鐘が並んで運ばれていく様子を撮影した写真をみる機会がありました。

 

撮影された日時はよく分かっていませんが、終戦間近のもので、場所は美濃高田駅前の通りだと思います。

 

金属の供出については、これまでにもいろいろとお話を聞く機会がありましたが、運ばれていく様子にまで話が及ぶことはなかったので、この写真を見るまでは、こんな行列をつくっていたとは思いませんでした。

 

美濃高田駅に向かって運ばれているので、この後は電車に乗せられたんでしょうね。

 

あと、ちょっと気になったのが、手前に写り込んだ人たちに笑顔が見られること。

養老町押越で伺った話では、鐘も半鐘も、二つとも持って行かれてしまい、子供にも分かるほど、悲しい出来事であったとおっしゃっていたので、少しだけ違和感が残りました。

西岩道青少年集会所。

2014.03.13

nishiiwamitishuukaijo.jpg

 

私が住む養老町西岩道に青少年集会所ができたのは昭和53年1月のことでした。

 

それまで、西岩道の寄り合いや子ども会のイベントはお寺で行われていましたが、これ以降は、すべて集会所が利用されています。

 

養老町全体に、青少年集会所が整備されるようになったのも、昭和40年代半ば頃からのことで、西岩道もこうした流れの中で、集会所が整備されたんでしょうね。

 

ちなみに、集会所ができた当時、一番印象的だったのが、冬の暖かさ。

お堂は冬の寒さが身にしみますよね・・

土屋写真館の広告。

2014.03.12

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先日、土屋ちかさんが経営していた写真館の広告を見る機会に恵まれました。

 

 ちなみに、土屋ちかさんとは、養老町高田出身の日本画家である土屋輝雄さんのおばにあたる方で、土屋輝雄さんの母代わりでもあった人物。

 

大正から昭和の初め頃の、まだ写真が珍しい時期に、写真屋の女主人を務めたことからも分かるように、たいへんな女傑であったみたいですね。

また、ハイカラで、馬に乗っていたという話も残っています。

 

そんな武勇伝の多いちかさんですが、私もこの広告に数百年以上の耐久性があるというプラチナプリントが含まれているのをみて、改めて、土屋ちかさんが評判どおりの人物であっただろうと思えるようになりました。

杭瀬川に流される前の分流記念碑。

2014.03.11

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先日、牧田川と杭瀬川の中堤を撮影した写真を見つけました。

 

正確な撮影年代は不明ですが、牧田川・杭瀬川分流記念碑が写り込んでいるので、昭和51年(1976)の中堤決壊以前に撮影されたものでしょうね。

 

現在の分流記念碑が、昭和51年の中堤決壊で一度杭瀬川の川底に沈み、後になって引き上げられたものだという話は何度か聞いていましたが、決壊前の分流記念碑の正確な元位置を把握できていなかったので、大変参考になりました。

日吉遺跡のガラス玉。

2014.03.10

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日吉遺跡からは、直径3mmほどの糸通しの穴があいたガラス玉が発見されています。

 

見つかった場所は、弥生時代の終わり頃の竪穴建物の床面。

とても小さなものなので、危うく見過ごすところでした。

 

そんなガラス玉ですが、本来の用途は複数に糸を通して使用するアクセサリー。

そのため、周辺も丁寧に探してみたのですが・・

 

結局、見つかったのは、この1点のみでした。

 

弥生時代のガラス玉は大変貴重なものなので、1つだけでも何か意味はあったかもしれませんが、見つけたときの第一印象は「失くしちゃったんだろうな」でした。

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