養老町の歴史文化資源の発見・普及を目指して設立した当ホームページは、「私たちが暮らす養老町への関心を喚起すること」を目的に運営しています。

養老町の歴史文化資源

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日本文化体験

2010.08.04

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養老町は、ドイツのバッドゾーデン アム タウヌス市(Bad Soden am Taunes)との交流を22年続けています。

 

今年は、7月26日からスポーツ交流団の9名を受け入れています。団員は高校生と大学生で、養老町内にホームステイし、スポーツを通しながら交流を深めています。

 

さらに、8月4日は日本文化を知るために書道・華道・茶道を体験しました。

畳の上での正座は難しいようでしたが、お抹茶の味は美味しかったそうです。

 

わずかな時間でしたが、日本文化に触れてもらうことができました。

帰国してからも興味を持ち続けてもらいたいです。

小栗栖(おぐりす)神社と蛇神昇天

2010.08.03

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養老町室原にある小栗栖神社の由緒には、ある伝説が残っています。

 

小栗栖の神様は昔、南宮神社(垂井町)に祀られていましたが、洪水によって室原まで流されてしましました。

不憫に思った室原の村人達は、小栗栖の神様を南宮神社にかえしてあげようとしました。

 

ところが、小栗栖の神様は

「室原の人々はとてもやさしい。どうか、私をここに住ませてくれないか。」

と仰いました。

 

感激した村人達は社を造り、そこにお祀りすることにしました。

 

これが、小栗栖神社の始まりと伝えられています。

 

またその時、境内の池に住んでいて、守り神であった大蛇が木に昇って天に帰っていき、小栗栖の神様と入れ替わったとも言われています。

西岩道の土堤跡

2010.08.02

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金草川は牧田川の支流で、栗笠の付近で合流しており、かつて濃州三湊と高田町とを結ぶ舟路として利用されていました。

 

九里半街道沿いに岩道・西岩道・口ヶ島・下高田の四箇所に土場があり、荷物の揚げ降ろしが行われ、三湊が衰亡した後も利用されていました。

 

大正の初め頃、西岩道の土場から立派なお嫁入り道具が陸揚げされたそうです。

 

この写真は、広幡橋の南詰の東方、堤防が大きくカーブした辺りです。

 

堤内の法面一面にくり石と呼ばれる10~15cmほどの石が敷き詰められています。

 

先人の涙ぐましい水防の努力の跡がみられます。

 

九里半街道の詳細が知りたい方は、電子書庫の「養老町の古道」をご覧ください。

象鼻山発掘状況2

2010.07.30

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昨日はだめでしたが、今日は調査をすることができました。

12号墳の表土と流土の除去がすすみ、墳丘の北端に黒色土層を確認できています。

ただ、これが何であるかを解明するのは、来週に持ちこしになりました。

 

溝の埋土かな・・

タギゾウくんのおはなし。

2010.07.29

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当HPでは、養老町の歴史や文化にもっと気軽に触れていただくため、タギゾウくんというキャラクターを使用しています。

モデルは、養老町橋爪にある象鼻山1号墳。

岐阜県でも早くに造られた古墳の一つです。

 

このイラストは、タギゾウくんが養老町の伝統や文化にふれるお話の下書きの一部です。

小さな子どもに養老町のことを知ってもらうために制作しており、理解しやすい内容を心掛けています。

 

ただ、完成までには、もう少し時間が必要で、公開はまだ先になりそうです・・

象鼻山古墳群発掘調査状況報告1

2010.07.28

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今週の月曜日から、象鼻山古墳群第5次発掘調査を開始しました。

昨日までに調査準備をだいたい終え、今日から12号墳の表土の除去を進めています。

 

今のところ築造時期などの手がかりは得られていません。

明日に期待したいところですが、たぶん雨ですよね・・

久保田象外先生

2010.07.27

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久保田象外先生は養老町別庄の高名な学者です。

 

弘化元年(1844)12月2日に生まれ、9歳の時に橋爪の村上杏園先生について漢学を学びました。

 

その後も京都の高倉学寮(現在の大谷大学)、大垣の澹泊(たんぱく)塾、大分の咸宜園(かんぎえん)で勉学に励み、明治6年(1873)帰郷。別庄で家塾を開き、以後30年間、近隣の子ども達に指導・教授を行いました。

 

門下生達は養老町内はもとより、合原(垂井町)、牧田(大垣市)など、各地の指導者として地域に貢献しました。

 

明治36年(1903)、多くの人々に惜しまれつつ60歳でその生涯を閉じ、翌年に門下生達によって象鼻山の麓に顕彰碑が建てられました。

もみじの木

2010.07.26

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広幡公民館の前に、もみじの木があります。

 

かつて、この場所は広幡小学校の校庭で、集会室のすぐ傍だったそうです。

子ども達の成長を見守り続けたもみじの木は、

昭和49年に学校が移転しても、この場所に残りました。

平成元年に公民館が建てられると、再び、この木の周りに人々が集まるようになりました。

 

毎年、この場所で8月14日に広幡地区の盆踊り大会が行われます。

かつて、この木を見て学び遊んだ子ども達が帰ってきます。

象鼻山山頂部の風景。

2010.07.23

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いよいよ来週から、象鼻山12・14号墳の発掘調査が始まります。

これに先駆け、今月18日には地元である象鼻山整備促進協議会に山頂部の草刈りをお願いできました。

 

そのため、現在の山頂部は、この酷暑にもかかわらず、とても居心地の良い空気が流れています。

この景観にふれると、地元の皆さんがこの山をいかに大事にしてきたかや、素晴らしい遺跡が残されていることに改めて気づくことができます。

 

これからの調査で、どんな成果が得られるかわかりませんが、この山を大事にしてきた地元に敬意を払い、丁寧に発掘を進めていきたいです。

作業員のみなさん、よろしくお願いします。

橋爪の名医

2010.07.22

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村上杏園(きょうえん)先生は、養老町橋爪に住んでいた名医です。

 

杏園先生は文化3年(1806)に、彦根藩の御殿医として仕えていた、伊藤伝左衛門の子として生まれました。幼い頃から京都で医学・漢学を学び、18歳で橋爪の高木喜内の養子となりました。

 

医療で生計を立てる傍ら、近隣の子ども達に読書、習字、謡曲などを教えました。

また、親切な治療のためとても繁盛し、その厚徳が認められ、大垣藩主から「村上」の姓を与えられたほどでした。

 

明治5年(1872)に病で亡くなりましたが、明治30年(1897)に門人と有志者によって、象鼻山の麓に顕彰碑が建立され、その功績を現在に伝えています。

ナスの花

2010.07.21

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梅雨明けして一気に夏になり、青空が広がり、連日最高気温が30度を超えています。

夏野菜も旬を迎え、トマトにキュウリ、ナスが採れる季節になりました。

 

身体を冷やす効果があるといわれる夏野菜。

中でもナスは95%が水分で、冷却作用が強いそうです。

 

また、ナスの花は結実する割合が高いことから、

「親の意見と茄子の花は千に一つのむだがない」と故事があります。

青紫の可愛い茄子の花を見ると、母に言われたことを思い出します。

 

夏野菜を使った料理で、夏を元気に過ごしたいですね。

蓮の花

2010.07.20

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池辺地区の道路沿いで、蓮の花を見かけました。

直径25cmほどのピンクの花がとても可愛く目を惹きます。

 

サクサクした歯ごたえの蓮根(地下茎)。

養老町では、7~8軒の農家が蓮根を栽培していて、収穫期は10月から1月頃。

おせち料理には欠かせません。

 

花の見頃は、この先1ヶ月の早朝から昼まで。

早起きして見てください。

押越八幡神社の大杉

2010.07.16

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押越八幡神社に、大杉の切株が奉納されています。

 

この大杉は境内に御神木として祀られ、樹齢は500年を超えていましたが、幹の空洞化が進み、倒壊を心配する声が高まりました。そして、昭和34年の伊勢湾台風をきっかけに、やむを得ず、切り倒すこととなりました。

 

切株の大きさは、直径2.7mで、幹周りが8.3mありました。

記録によると、高さは約30mあったそうです。

 

現在では、境内に「2代目大杉」が祀られており、氏子たちの手によって大切に育てられています。2代目も初代に負けない位、大きく立派な御神木に育ってほしいですね。

黒い堤防

2010.07.15

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養老町では、一級河川堤防に草刈りや美化運動を地元にお願いしている所があります。

 

堤防に草が生い茂っていると、わずかな崩れを見逃したり、ゴミの不法投棄の助長となります。

 

草刈りは出水期となるこの時期に、水害を未然に防ぐための、大事な作業なのですね。

 

また、草刈り後には枯れ草火災予防のために、消防署に届けを出して草焼きするところもあります。

 

この時期、堤防の黒い箇所を見かけるのは、こんな理由があったからなんですね。

貝輪形土製品。

2010.07.14

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養老町の日吉遺跡では、貝のブレスレットを、粘土でまねてつくった貝輪形土製品(かいわがたどせいひん)の一部が出土しています。

 

どうも弥生時代の人達は、貝製のブレスレットに特別な思いをもっていたようで、当時は特別な人だけが使用していたようです。

この貝輪への思いは、古墳時代にも引き継がれますが、時代の移り変わりの中で、材質を貝から貴重な石などに変え、腕にはめるには適さない形に変化していきます。

 

写真の貝輪形土製品も、腕にはめるには適さない形をしており、材料は粘土、さらに仕上げで赤い顔料が塗られています。

そのため、この資料は弥生時代から古墳時代へと変わっていく中で、当時の人達が貝輪にどのような思いを込めていたのかを知る重要な手がかりになりそうです。

少なくとも、ただのアクセサリーではないですよね・・

 

薩摩義士夏季慰霊法要のご案内。

2010.07.13

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薩摩義士の功績を顕彰し、その冥福を祈るため、養老町薩摩義士顕彰会による夏季慰霊法要が根古地薩摩工事義歿者墓(雨天は天照寺)で行われます。

今日は、そのための関係者による打合せがありました。

 

会場である根古地薩摩工事義歿者墓(養老町根古地地内)は、地元では浄土三昧とも呼ばれており、宝暦治水工事で亡くなった24名の義士が埋葬された場所です。

法要執行のきっかけは、昭和34年の集中豪雨と伊勢湾台風で、翌年の災害復旧工事の際に、遺骨を納めた甕が発見されたことでした。

そのうちの一つは、現在も天照寺(養老町根古地)に保管されています。

 

開催日時は、平成22年8月13日(金)の9時からです。参加は自由ですので、一般の方の参拝をおまちしています。

秣(まぐさ)の滝。

2010.07.12

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 養老町といえば、養老の滝が有名ですが、他にも秣(まぐさ)の滝とよばれる滝があります。

落差は34mあり、地元にはこちらの滝の方が好きだという人もいるくらいです。

 

元正天皇や聖武天皇が行幸した折、この滝で水をくみ、馬の草を採取したと伝えられていることが、名前の由来となっています。

ただ、この滝は柏尾谷の奥、標高340mの地点にあり、なかなか簡単にはたどり着けません。

 

しかし、一度、機会を捉えて登ってみたことがありました。

養老町柏尾地内にある秣の滝が、中世の山岳寺院である柏尾寺の寺域に含まれていたのではないかと考えていたためです。

 

実際に自分の目で見た滝は、話に聞いていたよりもずっと素晴らしいものでした。

中世寺院と直接つながる手がかりは得られませんでしたが、滝修行にちょうど良さそうな滝壺も確認しました。

 

この目でみた感じでは、これを柏尾寺の僧達が利用しなかったはずはないと思いましたが・・

 

不明な点も多く、実態の解明はまだ先になりそうです。

青空広場

2010.07.09

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ここは養老町立池辺小学校の「青空広場」。

観客席の様なこの広場は、水害の際に船着き場として利用するために作られました。

 

池辺地区は低い土地が多く、昔から水害に悩まされてきました。

そのため、小学校に避難しやすいようにこの広場が作られました。

 

幸いにも、船着き場として使われたことはないそうで、今は子ども達の遊び場となっています。

薩摩カイコウズ

2010.07.08

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この時期、養老山麓沿いの道路を走っていると、赤い花をつけた木を見かけます。

「カイコウズ(海紅豆)」という名前の花です。

 

平成3年に岐阜・鹿児島姉妹県盟約20周年を記念して、海津市から関ヶ原をつなぐ道路沿いに約35㎞にわたって植えられました。

そのため「薩摩カイコウズ街道」とも呼ばれています。

 

南国をイメージさせる真っ赤な花が印象的で、夏の暑さがよく似合っています。

 

花は9月の中頃まで楽しめそうです。

東部中学校への通学路である「希望の道」にもカイコウズが咲いています。

初宮参り(はつみやまいり)

2010.07.07

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私の家では、赤ちゃんが無事に1ヶ月を迎えると、その感謝をこめて氏神様にお参りします。

これにより、赤ちゃんは土地の一員として認められると考えているからです。

 

結婚する前、私はあるお坊さんに、「氏神様に見初められた娘は、生まれ育った土地に住み続けるそうだよ」と言われたことがあります。

私の母は、どの神様よりも、氏神様を大切にしていました。

 

私はきっと初宮参りで見初められたに違いありません…

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