ギリギリ跡
2012.01.19
多芸七坊の一つである小倉山光明寺には、元亀年間(1570~1573)に織田信長によって焼かれたという言い伝えとともに、そのとき本尊である薬師如来を避難させるときに起きた不思議な出来事が言い伝えられています。
それは、薬師如来を乗せた荷車が、養老町の小倉と鷲巣の境にある交差点にさしかかった時、左の小倉へ行こうとするとギリギリと鳴って進まず、右の鷲巣に行こうとすると、軽く動いたという言い伝えです。
「これは、仏様が鷲巣に行きたいと仰っているのだ」として、薬師如来は鷲巣に運ばれることになりました。
ただ、現在は鷲巣白山神社に薬師堂が残るのみで、仏像は焼失してしまっています。
この話で気になるのが、光明寺跡に比定されている薬師山遺跡のほとんどが、養老町鷲巣の飛地であること。
実際に、本尊を避難させる事態になったならば、迷わず鷲巣へ運んだのではないかとも思います。ただ、交差点の場所は、薬師山遺跡と養老町鷲巣の位置関係と整合的で、この話には事実も含まれているんじゃないかと思えるところがあります。
現在、この交差点は「ギリギリ跡」や「ギリギリ峠」と呼ばれており、地元で小学生などを対象にした歴史探訪が行われると、地域の旧跡として紹介されています。位置など興味のある方は、ぜひ「タギゾウくんの養老ナビ」で検索してみて下さい。
養老美泉論争。
2011.12.08
養老町の名前の由来にもなっている、元正天皇が訪れた養老の美泉ですが、実はその候補は「養老の滝」と「菊水泉」の2つがあり、今もはっきりとした結論が出ていません。
そして、このことについては、江戸時代にも高名な学者同士で論争になり、大人げない意地の張り合いに発展したことがありました。
それが、国学者である田中大秀(たなかおおひで)と、儒学者である秦鼎(はたかなえ)の間で、交わされた論争です。
田中大秀は養老の滝派、秦鼎は菊水泉派でした。
田中大秀は、「養老美泉録」(1814)や、「養老美泉辯註(ようろうびせんべんちゅう)」(1815)を著し、さらに滝のそばに「養老美泉辯碑(ようろうびせんべんひ)」(写真上)という石碑を建て、持論の正当性をアピールしました。
これに対し、秦鼎は、文化13年(1816)菊水泉に「菊水銘碑」(写真下)を建てています。さらに、養老の弟子へ田中大秀を誹謗する手紙も送るといったこともありました。
対立は、2人が亡くなったあとも続き、秦鼎の弟子達が「養老美泉辯碑」を壊したり、「養老美泉辯註」の版木の一部を削ってしまう事件が起きました。
現在の「養老美泉辯碑」は明治31年(1898)に再建されたものです。
この2つの候補は、いずれも養老公園内にあります。訪れた際には、どちらが妥当か、ぜひ皆さんも考えてみて下さい
有尾のなたぼくさん
2011.12.02

養老町有尾には、円空作の薬師如来像があります。
この円空仏は、江戸時代中期に川の氾濫で有尾に流れ着いたと伝えられていて、色々な御利益の中の一つに、この薬師如来像を抱えて川に入ると、泳ぎが上手くなるというものもあります。
イメージしづらいですが、円空仏を浮き輪代わりにしたということですかね・・
この円空仏は、地元では「なたぼくさん」と呼ばれ、とても大切にされています。
下笠薬師。
2011.11.25
養老町下笠字湯口に、下笠薬師堂と呼ばれるお堂があり、中には、医薬の仏様である薬師如来が祀られています。
そして、この仏様には、昔、下笠村を襲った洪水で流されてしまったという話が残っています。
内容は、流された仏様を心配した村人たちが、行方を捜し、知多にあった「浜薬師」が、海から浮かび上がって来たことや、以前は下笠薬師如来と呼ばれていたことを知って、返してもらうようにお願いし、無事に仏様が戻ってくるというもの。
しかし、どうやら、戻ってきた仏様は流される前よりも、一回り小さかったようです・・・
どこまでを信じるか、というところですかね。
ただ、養老町には、この他にも洪水で流された仏様の話が残っていて、こういったことは珍しくなかったのかもしれません。
この下笠の薬師如来は、無病息災の仏様として、現在も地元の人達に大切にされています。
ハツシモの収穫。
2011.10.24
10月も下旬を迎え、養老町でもハツシモの収穫が終わりつつあります。
ただ、少し収穫の早い、「あさひの夢」の収穫量があまりよくなかったそうなので、ハツシモも心配されているみたいですね。
稲の花のつく9月に、台風に見舞われたのが、よくなかったようです・・
わが家も10月初旬に無事ハツシモを収穫し、乾燥と籾すりが終わったとの連絡をいただいたので、作業場へ収穫量を確認しにいったのですが・・
2反で11俵と、例年よりやや少な目でした。
作業場では、米袋を運ぶロボットを、はじめて見ることができました。
来年は、このロボットに今年よりもたくさんお米を運ばせるようにしたいですね。
第3の滝。
2011.08.26

先日、養老町直江の春日神社に伺ったとき、直江区が所有する小谷山(おたにやま)に、「直江の滝」と呼ばれる立派な滝があることを知りました。
上の写真の位置にあるそうです。
「養老の滝」が有名な養老町で、「まぐさの滝」のことは知っていても、「直江の滝」のことを知っている人は少ないんじゃないでしょうか。
ということで、来月の中旬に、現地確認を行うことにしました。
撮影した写真は、当ホームページでも公開する予定ですので、ぜひ楽しみにお待ちください。
多岐神社の伝説。
2011.07.21
養老町三神町にある多岐神社(たぎじんじゃ)は、養老町に3つある延喜式神名帳に記載された式内社の1つです。
この神社には次のような伝説が残っています。
大正2年(1913)、1ヶ月以上も雨が降らない日照りが続きました。井戸水は干上がり、田んぼや畑の作物は枯れてしまい、このままでは食べるものが無くなってしまう、と村人は困っていました。
そんなある日、1人の村人が「牧田川の砂を持ってきて、それに種籾を撒いてはどうだろう」と提案しました。
村人達が藁をもつかむ思いで、この案を実行すると…
多岐神社の境内に撒いた牧田川の砂から、早稲・中稲・晩稲すべての芽が出ました。
村人達は、これを多岐神社の倉稲魂神(うかのみたまのかみ)の御利益であると感謝し、多くの参拝者が神社を訪れました。
現在、その場所には記念碑が建てられ、この奇跡を語り伝えています。
養老ランドの桜。
2011.06.07

上の写真は、養老ランドの南側に並ぶ桜です。
一見しただけでは、なんの変哲もない桜に見えますが・・
よく見ると、桜が金網を突き破り、その一部を呑み込んで生長していることが分かります。
これ以外にも、同じような桜が数本あり、改めて植物の力を感じることができる場面でした。子どものとき、アスファルトを突き破って咲いている花を見て感動したことを思い出しますね。
子どもと養老ランドへ遊びに行く予定のある方は、ぜひ植物の強さを説明してあげて下さい。
小畑の千人塚
2011.03.17
養老町飯田に架かる小畑橋から堤防に沿って、東に500mほど進んだ辺りに、千人塚と呼ばれているところがあります。
今は綺麗に整備されていますが、昔は鬱蒼とした場所だったそうです。また、人魂を目撃したり、枝を折ると祟りに遭うといった噂もあったため、あまり人も近寄らなかったみたいです。
地元には、ここに合戦の落人が埋葬されているという言い伝えも残っており、後に地蔵を祀って供養するようになりました。
更に、千人塚に住む守神である白蛇を祀る社も造られ、それ以降は、不思議な現象を耳にすることも無くなったそうです。
現在は、春と秋に慰霊祭が行われています。
美波の地蔵さま
2011.01.21
養老町大巻には美波(みなみ)と呼ばれる地域があります。ここに立っているお地蔵さまには、次のようなお話が伝えられています。
むかしむかし、美波の村は、毎年のように日照りや洪水に見舞われ、不作が続いていました。さらに、多くの人が疫病にかかってしまい、村人たちは苦しんでいました。
そこで、お地蔵さまをまつって村を救ってもらうよう、たくさんのお供えを用意し、提灯を飾って祈りました。特に8月24日の夜には村中総出で必死にお祈りを続けました。
すると願いが通じ、その年は豊作になりました。
お地蔵様のおかげだと喜んだ村人たちは、それからというもの「じぞう様、じぞう様」と親しみを込めて敬いました。
今でも、毎年8月に「地蔵まつり」を行い、感謝を続けています。
久々美雄彦神社(くくみおひこじんじゃ)の伝説
2011.01.14

養老町沢田の郷社である久々美雄彦神社は、延喜式神名帳に記載されている格式の高い神社です。
沢田の宮谷上流に鎮座しているため、参拝をするには山道を登らなくてはなりません。この神社には次のような伝説が残っています。
むかし、乗馬が得意なお殿様がいました。ところが、沢田村に入るとなぜか、落馬することが度々あり、困っていました。
ある晩、久々美雄彦の神様が夢枕に立ち、
「私を高いところに祀りなさい。そうすれば、もう落馬することはありません。」
と、仰いました。
お殿様はさっそく、高い位置に社を造り、久々美雄彦の神様をお祀りしました。
それ以来、落馬することはなくなったそうです。
疱瘡の神様
2011.01.07

医療が発達していなかった昔は、病気を疫病神の仕業であると考えました。そのため、親は子どもの無病息災を願うため、様々なおまじないをしていました。
養老町では天然痘除けのおまじないとして、「疱瘡送り(ほうそうおくり)」をしていました。「さんだわら」と呼ばれる藁で作ったお盆の上に赤飯のおにぎりと塩をのせ、村外れの道端にお供えをします。そうすることで、疱瘡の神様を送り出し、天然痘にかからないことを祈りました。
また、種痘をする時代になると、「接種がうまくいきますように…」という願いも込められるようになりました。
この他にも、流行病が蔓延することを防ぐため、家や村境にしめ縄を張ることもあったそうです。
健康を願う気持は今も昔も変わらないのですね。
浄蓮寺の梵鐘(ぼんしょう)
2010.12.21
養老町三神町にある浄蓮寺には、大変良い音が鳴るといわれる梵鐘があります。
「どんとなるのは浄蓮寺の鐘か 1里きこえて2里ひびく」
という里謡も残っているほどです。
この梵鐘は戦時中の鉄の供出をまぬがれていますが、それはこのためなのでしょうか…。
僕は大晦日に宿直なので、役場で年越しです。浄蓮寺の除夜の鐘が僕のところまで届いてくれることを期待しています。
雪の予感
2010.12.17
今朝の養老山地の頂上付近は、薄っすら雪化粧していました。
先週の金曜日もそうでした。
養老町では、養老山地の頂上に雪が3回積もると、平野部でも雪が降るといわれています。
そろそろ雪対策が必要ですね。
ホワイトクリスマスだといいな。
ゆず湯
2010.12.15
来週の水曜日は冬至です。
わが家では風邪をひかないため、その日はカボチャを食べて、ゆず湯につかります。
ゆず湯につかると体が温まるような気がしますよね。
ゆずの実は近所からもらいました。たくさんあるので、もう今夜からゆず湯にしようと思います。
ちなみにカボチャは、9月にうちでとれたものを大切に保存しておきました。
冬至まで何度かゆず湯を楽しみたいです。
桜井の泉
2010.10.18
養老町には日本武尊を祭神とした「白鳥神社」が上方と桜井に鎮座しています。桜井白鳥神社の境内には泉があり、ここには日本武尊にまつわる次のような伝説が残っています。
病気の日本武尊が伊吹山から都へ帰る際に、養老山のふもとを通り桜井で休息をしました。その時に飲んだ水がとても美味しく、桜の香りがするといって喜び、さらに気分も良くなりました。それで、その泉を「桜井」と名付け、村名も桜井と言うようになったと伝えられています。
実際に飲んでみると、冷たくて口当たりが良かったです。
機会があれば、また飲んでみたいです。
この泉は「日本武尊遺跡」として養老町の史跡に指定されています。
養老町飯積の山車と人形浄瑠璃。
2010.10.01

養老町史通史編には、町内の各大字の沿革史が記載されています。
その中の養老町飯積の記述を読むと、むかしの飯積には、山車が1輌と人形浄瑠璃があったと書かれています。
これまで、この記述をどの程度信じていいのかわかりませんでしたが、多芸公民館長さんから飯積八幡神社で、人形の頭と、山車の幕を発見したとの連絡を頂きました。
さっそく伺ったところ、人形の頭を3つと、山車の幕1枚などを確認することができました。
詳細な検討はこれからですが、どうやら町史の記述は真実であったようです。
今回のように町史の記述の裏付けがとれる事例は稀で、こうした文化財が飯積に保管されていたのは幸運でした。また、館長さんのご協力にもお礼申し上げます。
養老町には他にも人形浄瑠璃や山車を所有している地区があるため、それらの地区と飯積の比較が次の課題になりそうです。

栗笠の観音堂
2010.08.31
養老町栗笠にある市神神社の付近に観音堂があります。
そこには「おもかるさん」と呼ばれる1体の石仏と、「西国三十三ヶ所」に由縁のある33体の石仏が安置されています。
これらの石仏は、もともと栗笠湊の近くに並んでおり、漁師や船頭さん達の信仰の対象となっていました。
しかし、湊が衰退してしまったため、現在の位置にお堂を造り、安置することになったそうです。
そして、ここに安置されている「おもかるさん」。
願いを念じながら持ち上げ、軽く持ち上がれば願いが叶い、重く持ち上がらなければ叶わない、という言い伝えが残っています。
地元の方のお話では、伊勢湾台風の行方不明者を捜す時に、「おもかるさん」にお願いしたところ、御利益があり発見することができたそうです。
僕も願いを念じて持ってみましが、
重くて持ち上がりませんでした…。
緑の田んぼ
2010.08.26
以前お知らせした、「白い田んぼ」。
綿のシートを敷いた直後は、真っ白で田んぼとは思えない風景が広がっていました。
ところが、今ではご覧のとおり。
稲が成長して「緑の田んぼ」になりました。
綿のシートはどうなったか?というと、分解されて土に還っていました。
内心は育つのか半信半疑でしたが、しっかり育っていて安心しました。
秋の収穫時期には、「黄金色の田んぼ」になるのでしょうね。
今から楽しみです。
「白い田んぼ」の記事はこちらから。
姥石物語
2010.08.11
養老町高田にある荘福寺(しょうふくじ)の境内に入ると、本堂とは反対の左奥に、頭の部分が刃物で割られたような、高さ60cmくらいの石があります。
この石は、「姥石(うばいし)」と呼ばれており、次の様な話が残っています。
ある日、一人の女がこの石のそばで苦しみながら死んでしまいました。
それからというもの、石は人肌のように温かくなり、夜になると一晩中奇声を発しだしたのです。
人々は、石の傍で悶死した女の霊魂が石にのりうつったのだと恐れました。
これを聞いた荘福寺のお坊さんは、歌を詠み、刀を抜いて石に向かって「成仏せよ!」と喝を入れました。
不思議なことにそれ以来、石は冷たくなり、奇声を発することもなくなりました。
本当に不思議な話です。






