弥生時代後期の銅鐸の分布域
こうした邪馬台国時代の日本では、伊勢湾沿岸部の勢力の他に、大阪湾沿岸部の勢力が大きな役割を果たし、それぞれ特徴的な地域文化を形成していました。墓制や土器、木器など多くの部分で相違があることが明らかにされており、こうした様相が3世紀を中心としていることから、それぞれの特徴的な地域文化を形成した勢力像について、魏志倭人伝に記述がある邪馬台国と狗奴国に比定できる可能性が指摘されています。
しかし、その少し前、弥生時代後期の両地域は、ともに銅鐸を祭器としており、むしろ共通点が強調される関係にもありました。「素より和せず」とされた邪馬台国と狗奴国、それは本当に近畿と東海だったのでしょうか・・