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邪馬台国時代の象鼻山

養老町教育委員会は、平成23年2月11日(金・祝)に、石野博信先生(兵庫県立考古博物館館長、香芝市二上山博物館館長)、宇野隆夫先生(国際日本文化研究センター教授)、赤塚次郎先生(NPO法人古代邇波の里・文化遺産ネットワーク理事長、愛知県埋蔵文化財センター副所長)をお呼びして、象鼻山古墳群シンポジウム「邪馬台国時代の象鼻山-古墳出現の背景を探る-」を開催しました。この特別展示は、そのシンポジウムを基に企画・制作したものです。

弥生時代後期の銅鐸の分布域

こうした邪馬台国時代の日本では、伊勢湾沿岸部の勢力の他に、大阪湾沿岸部の勢力が大きな役割を果たし、それぞれ特徴的な地域文化を形成していました。墓制や土器、木器など多くの部分で相違があることが明らかにされており、こうした様相が3世紀を中心としていることから、それぞれの特徴的な地域文化を形成した勢力像について、魏志倭人伝に記述がある邪馬台国と狗奴国に比定できる可能性が指摘されています。
しかし、その少し前、弥生時代後期の両地域は、ともに銅鐸を祭器としており、むしろ共通点が強調される関係にもありました。「素より和せず」とされた邪馬台国と狗奴国、それは本当に近畿と東海だったのでしょうか・・