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邪馬台国時代の象鼻山

養老町教育委員会は、平成23年2月11日(金・祝)に、石野博信先生(兵庫県立考古博物館館長、香芝市二上山博物館館長)、宇野隆夫先生(国際日本文化研究センター教授)、赤塚次郎先生(NPO法人古代邇波の里・文化遺産ネットワーク理事長、愛知県埋蔵文化財センター副所長)をお呼びして、象鼻山古墳群シンポジウム「邪馬台国時代の象鼻山-古墳出現の背景を探る-」を開催しました。この特別展示は、そのシンポジウムを基に企画・制作したものです。
象鼻山1号墳が発掘調査された頃、それ以外の墳墓はあまり注目されていませんでした。象鼻山の最高所に位置し、40mの規模をもつ1号墳に対し、それ以外の墳墓は20mにも満たない小規模なものがほとんどだと考えられていたためです。
しかし、さらなる発掘調査により、象鼻山3号墳(上円下方壇)が、これまで知られていなかった巨大な構造物であることが明らかになりました。
東西86.4m、南北70.0mの方形区画の中心に、直径17.5mの円丘を配置した上円下方の祭壇、それが象鼻山3号墳(上円下方壇)です。
象鼻山において最初になされた事業は1号墳築造ではなく、この象鼻山3号墳(上円下方壇)の造営でした。
そして象鼻山古墳群の出現が2世紀にまで遡ることを明らかにしたのが、山頂部の20m程度の墳墓群です。発掘調査により、これらの墳墓のほとんどが象鼻山3号墳(上円下方壇)より後、そして象鼻山1号墳より先に築造されたことが分かりました。