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養老町の成り立ち

岐阜県の南西部に位置する養老町は、その地形境から、時代毎に大きく姿を変化させてきました。
ここでは、旧石器時代から現代に至る養老町の歴史を振り返ってみましよう。
近代は、廃藩置県に代表されるように在地の権力や地縁的なまとまりを否定し、中央支配を強めた時代です。
当時の養老町でも、行政区分の再編が進められ、明治30年(1897)には多芸郡と上石津郡の合併により、約1,200年続いた多芸郡の名称は養老郡に改められました。
郡内の諸町村の合併も進み、現在の養老町に関わる地域では、高田町・笠郷村・広幡村・上多度村・養老村・小畑村・日吉村・多芸村・池辺村の1町8村が成立しています。ただ、現在の養老町室原は、この当時まだ不破郡に属していました。
養老鉄道の運営開始や、養老公園の整備など、現在の養老町に続く環境が整えられたのもこの時期です。
養老町の成立は、太平洋戦争が終結し、現代を迎えた昭和29年(1954)のことでした。高田町以下1町8村と、不破郡合原村室原が合併し、発足時の人口は28,779人に上ります。
さらにその翌年には、船見・若宮・一色が南濃町から編入され、養老町は現在の姿になりました。