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養老町の成り立ち

岐阜県の南西部に位置する養老町は、その地形境から、時代毎に大きく姿を変化させてきました。
ここでは、旧石器時代から現代に至る養老町の歴史を振り返ってみましよう。
養老町は、断層活動によって険しい山地と平らな低地の両極端な地形に二分されています。 さらに濃尾平野の東が隆起し、西が沈降する地盤運動から、養老町の平野部の標高は低く、濃尾平野の東から、揖斐川をはじめ大小の河川が流れ込んできています。 そうした養老町の地勢には、養老断層が大きく関係しています。地質調査等の成果による濃尾平野の地下構造をみると、養老断層が、養老山地側を上盤とする典型的な逆断層であり、下盤の濃尾平野が一枚岩のように西に傾下しつつ埋積されているのがわかります。
つまり、養老町一帯の地下深くでは、傾斜した断層面に沿って、養老山地が濃尾平野に押し被さるようにずり上がっているのです。
こうした逆断層が地震に関わる事例は数多く知られており、養老断層が原因となった地震では、マグニチュード7.9と推定されている天平大地震(745)や、マグニチュード7.8と推定されている天正大地震(1586)があります。
養老町の地下にみられるこうした状況は、近畿地方周辺では、伊吹山地や丹波山地、紀伊山地などにも確認でき、近畿地方をとりまくこれらの断層配置は近畿トライアングル(三角地帯)と呼ばれています。
この近畿トライアングルは過去1OO万年の間に、北のユーラシアプレート、東の太平洋プレート、南のフィリビン海プレートによって圧縮されて出来た部分であり、養老町もその一角を形成しているのです。
こうしたことから、養老町とその周辺の土地は、断層活動によって地盤が沈下しており、そこへ河川を中心とした土地形成営力によって多量の土砂が運ばれてくる構造をもつことがわかります。 そしてこのことは、養老町が常に災害に注意しておかなければならない環境をもつことを示しています。