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養老町の成り立ち

岐阜県の南西部に位置する養老町は、その地形境から、時代毎に大きく姿を変化させてきました。
ここでは、旧石器時代から現代に至る養老町の歴史を振り返ってみましよう。
養老町がある東海地方は日本列島のほぼ中央に位置しており、列島の中で最もくびれている箇所の一つです。くびれの周囲では、南に伊勢湾、北に若狭湾があり、その間には琵琶湖があるため、陸地はさらに狭くなっています。
そして日本の東西交流は、常にこの狭い場所を介してなされてきました。
このことは、古代の東海道、北陸道、東山道のすべてがこの場所を通っていることや、東国と畿内を自由に往来させないための三関(不破関・鈴鹿関・愛発関)が全てこの場所に存在することからも分かります。
その中でも特に、養老町や垂井町、関ヶ原町が位置する場所は、養老山地と伊吹山地が南北に隣接し、地狭帯(ちきょうたい)を形成しています。
ここは古くから東西交通・軍事の要衝であり、現在も東海道本線・東海道新幹線・名神高速道路・国道21号線が通っています。
また、養老町や大垣市上石津町には、南の伊勢へ向かう街道も通っています。このように、養老町を含むこの地域は、古くから東世界の玄関口としての役割を果たしてきました。