養老町の歴史文化資源の発見・普及を目指して設立した当ホームページは、「私たちが暮らす養老町への関心を喚起すること」を目的に運営しています。

養老町の歴史文化資源

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多良街道に標柱が設置されました。

2013.10.11

 tarakaidouhyouchuu.JPG

 

象鼻山の麓を通る多良街道跡(たらかいどうあと)に、新たに標柱と案内看板が設置されました。

 

地元である養老町橋爪の象鼻山整備促進協議会によるもので、これにより、街道の位置がよく分かるようになりました。

ありがとうございます。

 

ちなみに、多良街道というのは、養老町橋爪を経由して、大垣市上石津町多良と大垣市久瀬川を結んでいた古道。

今では、ほとんど残っていませんが、象鼻山の麓には、少しその雰囲気が残っています。

 

象鼻山に行かれた際には、ぜひこちらにも寄ってみてください。

船附民謡。

2013.10.10

hunatukeminyou.JPG

 

先週の土・日曜日に、船附八幡神社の例祭におじゃまし、船附民謡を見学してきました。

 

船附民謡とは、鼠々森と六羽野、寺屋敷の自慢の太鼓とともに踊られる「でんがらかし踊り」「白川踊り」「どじょう踊り」の3つの踊りのことで、養老町の重要無形民俗文化財にも指定されています。

 

ちなみに、例祭での船附民謡は、太鼓の叩き手の気分に合わせて、でんがらかし踊り・白川踊りの2種類を交互に踊り、最後に、どじょう踊りで締めるというもの。

 

中でも、どじょう踊りは、日頃恵みを与えてくれる土への感謝を込めて、太鼓をわざわざ櫓から下ろし、足を地面に擦りながら踊られるもので、たいへん厳かなものと聞いていたため、とても楽しみにしていたのですが・・

 

今回はタイミングが合わず、どじょう踊りだけ見ることができませんでした。

来年は万障繰り合わせて見に行き、その厳かな雰囲気を皆さんにお伝えしたいと思います。

歴史講座が終了しました。

2013.10.09

H25reishikouza.JPG

 

今日、 無事に歴史講座が終了しました。

足下の悪い中、たくさんの方々にご参加いただき、ありがとうございます。

 

講師の石川先生からは、養老公園が、西洋の公園という新しい土地概念のもと、維新後に荒廃しつつあった社寺境内や名勝旧跡を保存しようという当時の日本の動向の中で開設されたことなどをお話ししていただき、たいへん勉強になりました。

 

また、討論の中での、赤塚先生の、「養老公園開設に携わった方々が養老公園に期待したものとは、個人の欲に基づくものではなく、養老の誇りや名誉を取り戻すことであっただろう」というご発言は、とても印象に残りました。

 

荒廃しつつあった養老の滝周辺を一大公園となし、養老の名誉を取り戻そうとした先人達。

どこか、現在の私たちが抱える課題に通じるところがあるような気がしますね・・

 

さて、次にニワ里ねっとさんと実施する事業は、11月10日(日)の文化遺産ウォーキング

まだ少しだけ余裕がありますので、ぜひこちらもご参加ください。

第2回きのこワークショップ。

2013.10.08

maitakeworkshop.JPG

 

一昨日の日曜日、午前10時30分より、第2回きのこワークショップを開催しました。

 

町民運動会や、お祭りで忙しい時期にもかかわらず、前回の参加者全員に参加いただきました。

ありがとうございます。

 

収穫適期よりやや遅れた時期での開催になってしまいましたが、子どもたちを中心に、少しずつマイタケの収穫を体験してもらうことができました。

ただ、持ち帰って頂くことができた量は僅かでしたね・・

 

しかし、今回栽培したマイタケは、一般に出回っている菌床栽培のものではなく、原木栽培の高級品。

きっと、美味しかったと思います。

 

こうした体験を通して、子どもたちがキノコと、キノコを生み出す山を好きになってくれるとうれしいです。

平成25年度田中道麿翁慰霊法要。

2013.10.07

H25mitimarohouyou.JPG

 

先週の金曜日、平成25年度の田中道麿翁慰霊法要を無事に終了することができました。

ありがとうございます。

 

音響の調子が悪く、一時はどうなることかと思いましたが・・

広幡小学校6年生による和歌の発表だけでなく、養老吟詠会による和歌朗詠もあり、歌を愛した田中道麿翁にも喜んで頂けるような法要になりました。

 

つくってみると、不思議に心が和む和歌。

こうして、たくさんの方々が、和歌をたしなむ養老町になっていくといいですね。

 

gineikai.JPG

飯田の旧養老街道沿いのお地蔵さま。

2013.10.04

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養老町飯田の旧養老街道沿いには、地蔵堂が2つ建っています。

 

上の写真は、そのうち北側の村地蔵を撮影したもの。

どうみても、中世の五輪塔の火輪の上に、中世の石仏が乗っかっていますよね。

ちなみに、もう一つの地蔵堂にお祀りされているものも、中世の板碑でした。

 

このあたりが、遺跡であることは把握できていたのですが、ひょっとしたら墓域があったのかも知れませんね。

 

村地蔵の西側は、飯田八幡神社の元位置であり、さらにその場所のことを「お薬師さん」とも呼んでいたという情報がありますので、このことを手掛かりに、ひき続き、調査を続けたいと思います。

かわど。

2013.10.03

kawado.JPG

 

養老町の南小倉には、共同の洗い場が3カ所あり、いずれも「かわど」と呼ばれています。

 

ただ、なぜそんな呼ばれ方をしているのかや、どのような漢字を充てるのかが、よく分からなかったので、あとで少し調べてみたところ・・

 

「川端」という字を充てることが分かりました。

どうも、「洗濯・炊事をするところ」という意味みたいです。

一昔前までは、生活に川の水を利用することはごく当たり前のことだったので、その名残なんでしょうね。

 

南小倉の洗い場は、いずれも自然の湧水点を利用してつくられているので、河間(がま)の河の字を充てるのではないかと考えたりもしましたが、間違っていました・・

マイタケの収穫。

2013.10.02

maitake130930.JPG

 

先々週から発生をはじめたマイタケですが、そろそろ収穫時期が過ぎようとしています。

ちょっと6日の2回目のワークショップまでは、もたないかもしれません。

 

ということで、できれば参加者全員に収穫を体験してもらいたいところでしたが、一応、収穫したものを保存しておくことにしました。

 

そんなマイタケですが、今回のテストで、樹種により、発生時期や発生量にずいぶん差があることが分かってきています。

 

原木埋設後、5~6年は収穫できるので、最終的な結果がでるのはまだ先なのですが・・

ワークショップという形を採るのであれば、原木には、1年目の収穫量が多い樹種や、収穫時期を長くとるために複数の樹種を選択することが有効みたいですね。

 

まだデータ収集中ですが、得られた結果を分析し、今後のワークショップの開催に役立てていきたいと思います。

H25文化遺産ウォーキング参加者募集。

2013.10.01

ojigi-tagizou_w200.jpg

 

養老町教育委員会では、平成25年11月10日(日)に、養老町文化遺産ウォーキングを開催いたします。

 

内容は、たき道という、養老の滝に至る古い道を歩く約6kmのコース。

緩やかな上り坂が続きますが、たき道沿いに点在するたくさんの文化遺産をご案内したいと考えています。

 

詳細は下記の通りで、今日から申し込みを受付しています。

たくさん休憩をとりますので、ぜひご参加ください。

 

<養老町文化遺産ウォーキング>

テーマ:たき道沿いの文化遺産の散策と現地説明。

【養老競馬場→たき道道標→白石村跡→千歳楼→養老神社→養老の滝→旧養老公園事務所】

講師: 中島和哉(養老町教育委員会学芸員)

日程:平成25年11月10日(日)9時~12時半

集合場所:ふれあいセンター養老(養老町石畑、駐車場有り)

定員:20名(事前申込必要、先着順)

※電話で養老町教育委員会生涯学習課32-5086にお申し込みください。

※参加無料。

※現地集合、ゴール後は、バスで出発地点まで送迎いたします。

※雨天延期、別途連絡あり。

※適宜、休憩を取りますので、飲み物等をお持ちください。

徳永松。

2013.09.30

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養老寺の本堂と不動堂の前には、明治29年(1896)に枯れるまで、約300年間、徳永松(とくながまつ)という大きな松が立っていました。

 

上の絵図が、その徳永松を描いたものです。

根周りは約4.8mもあったみたいですね。

 

慶長12年(1607)に、高須城主であった徳永寿昌によって本堂などが再建された際に、比叡山より持ち帰られ、植樹されたものと伝わっています。

 

多分、それで、徳永松と呼ばれているんでしょうね。

 

初代が枯れた後は、もう一度、当時の住職が、比叡山より松を持ち帰り植樹したのですが、それも昭和63年(1988)に枯れてしまいました。

 

下に掲載してある写真が、その2代目です。

 

こうした記録を見てしまうと、少し、現在の不動堂と本堂の前が、さみしいようにも思えますね。

 

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南小倉の灯明さん祭り。

2013.09.27

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先週の日曜日、養老町の南小倉で、お伊勢さんをお祀りする灯明さん祭りが行われました。

 

毎年、9月の第4日曜日に実施されていて、南小倉の5つの班が、1年交替で当番をしているそうです。

6時半頃から、役員が太鼓を鳴らし、早く来た人から順番にお参りして帰っていくという流れでした。

 

ちなみに、灯明の場所は、津屋川のそばなので、伊勢へ向かう川湊に建てられたんでしょうね。

 

そんな灯明さん祭りですが、養老町ではポピュラーなものである反面、大神宮祭りと呼ぶところがあったり、お社で行うところがあったりと、内容に少しバラツキがあるのが気になります。

 

中でも、特に気になるのが実施している時期。

9月に行っているところが多いなかで、4月に行っているところもあるようです。

祭りの時期には、何か祭りの本質に関わるような理由があると思いますので、今後も情報収集を続けていきたいと思います。

上方白鳥神社の曳軕。

2013.09.26

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先日、養老町上方の白鳥神社に伺った際、社殿の南側に木製の車輪が置かれているのを見つけました。

 

ちょうど、氏子の方とご一緒だったので、お話を聞いてみたところ、やはり昔に曳軕があったそうです。

あまり詳しいことは、ご存知ありませんでしたが、どうも祭りが終わると分解して、それぞれの氏子の家で保管していたみたいですね。

 

どんな曳軕だったのか、ひき続き情報収集を続けたいと思います。

多良街道の一本松。

2013.09.25

tarakaidoukoshashin.jpg養老町橋爪には、大垣と上石津町多良を結ぶ多良街道が通っていました。

 

左の写真は、そんな多良街道を撮影した貴重な1枚です。

養老町の新宮あたりから、南西方向に撮影されたものでしょうね。

 

奥に写っている象鼻山も気になりますが、この写真でもう一つ気になるのが、街道沿いに立つ一本の松。

おそらくこれが、関ヶ原合戦で西軍の敗残兵が逃げ遅れ、力尽きて松の根元で甲冑を着たまま亡くなったと伝わる多良街道の一本松だと思います。

 

こんな風だったんですね。

昭和60年までは、まだあったらしく、地元にはこの松のことを覚えている人も多いのですが、私は初めてでした。

 

現在では、その姿をほとんど消してしまった多良街道、できれば一度歩いてみたかったです。

 

 

マイタケが発生しました!

2013.09.24

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今年の2月に植菌を行ったマイタケ原木ですが、とうとうマイタケが顔を出しはじめました。

 

先週、「気温が下がりはじめたので気をつけるように」という指導を頂いてからは、あっという間でした。

これまで全く変化がなかっただけに、とてもうれしかったです。

 

ということで、近々、前回の植菌ワークショップの参加者を対象とした2回目のワークショップを開催します。

その詳細な日程は、明後日の現地指導後に決定しますが、まもなくだと思いますので、今から準備をしておいて下さい。

「白鳥神社史」の公開。

2013.09.20

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今日、電子書庫のその他のコーナーに、養老町上方の白鳥神社の由来や神事などを記した「白鳥神社史」を公開しました。

 

地元が昭和35年(1960)に発行したもので、町の文化財に指定されている神宿制や、雨乞い、古墳など、上方の白鳥神社に関わる興味深い情報がわかりやすくまとめられています。

ぜひ、一度目を通してみて下さい。

絵本作成中。

2013.09.19

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養老町教育委員会では、タギゾウくん絵本シリーズ第7弾の準備を進めています。

 

今回のテーマは「養老断層」

現在、ストーリーと絵コンテを作成しているところですが、養老町の根幹をなす要素であるだけに、少し手間取っています・・

 

完成するまでには、まだ時間がかかりそうですが、ぜひ楽しみにお待ち下さい。

昭和40年代の竜泉寺古墳。

2013.09.18

ryuusenjikohunkoshashinn.jpg

 

養老町竜泉寺には、石材目的で破壊される以前は、横穴式石室が開口していたと伝えられている古墳があります。

 

上の写真は、そんな竜泉寺古墳の墳頂部を東から撮影したもの。

散乱している石が、石室石材です。

 

昭和49年(1974)に、既に養老町文化財保護協会が、竜泉寺古墳が破壊されている状態であることを報告しているので、おそらくはその少し前に行った調査時に撮影されたものでしょうね。

現在も、ほとんどこのままの状態で、付近からは、最近の竜泉寺廃寺跡の調査によって、ようやく少し古墳時代の須恵器を発見することができるようになっています。

 

とはいえ、相変わらず、ほとんど情報のない竜泉寺古墳。

どこかに、破壊したときの記録などが、残っていないですかね・・

常盤町の子ども歌舞伎。

2013.09.17

tokiwamatiishidoumaru.jpg

 

先日、高田祭の照鱗閣軕で、子ども歌舞伎を行っている写真を見つけました。

 

照鱗閣軕(しょうりんかくやま)というのは、常盤町が所有する曳軕で、子ども歌舞伎用の舞台を備えたものなのですが、昭和36年(1961)を最後に、子ども歌舞伎を披露することはなくなりました。

そのため、 この写真は、それ以前に撮影されたものだと思います。

 

どのような外題があったかなど、あまり詳しいことを知らなかったのですが、この写真のおかげで、少なくとも石童丸(いしどうまる)物語を奉芸していたということが分かりました。

おそらく、向かって左側の男の子が石童丸役でしょうね。

 

できることなら、一度、見てみたかったです。

岡本喜十郎懸賞文。

2013.09.13

okamotokensyobun.JPG

 

昭和4年(1929)、まだ養老町高田に小学校があった頃に、小学校6年生が岡本喜十郎について書いた作文を見る機会がありました。

 

 岡本喜十郎は、千歳楼の創始者で養老公園開設の礎を築いた人物ですが、養老町高田の出身だったので、高田尋常小学校で、その功績を詳しく教えていたんでしょうね。
58名もの応募があり、中には原稿用紙4枚にもわたって、岡本喜十郎の功績をまとめている子もいました。

 

内容としては、岡本喜十郎が、いかに養老町の発展に貢献したかということや、その生涯について熱心に書いたものがほとんどでしたが、一部に、「牧田川堤防に忠魂碑と相対して」「元文五年高田町の水害地なる島田裏の乗越堤上」「北河原」「高田尋常小学校の教室から北方を望めば忠魂碑の西に見える」といった、昭和3年(1928)に高田町青年団によって建てられた、岡本喜十郎翁顕彰碑の元位置に関する情報もありました。

 

岡本喜十郎翁顕彰碑の元位置が、高田の旧牧田川堤防上であったことは間違いないと思いますが、その正確な場所がよく分かっていないので、ひき続きこうした情報も手掛かりにして、調べていきたいと思います。

たき道沿いの水引草。

2013.09.12

akaimizuhikisou.JPG

 

今週、養老公園内のたき道沿いで、水引草(みずひきそう)を見つけました。

 

水引草は、長い茎に、米粒のような白い花を咲かせる植物で、写真のような一見赤く咲いているようにみえるものも、実は、白い部分が花で、赤い部分は萼(がく)という、つぼみを保護する部分にあたるようです。

お茶花としても使われる花で、白いものや赤いものがあると思っていましたが、それは萼の色が違うだけみたいですね。

 

日陰の湿った土を好むようなので、井水堀のあるたき道沿いにたくさん咲いているんだと思います。

11月くらいまで、咲いていてくれると思いますので、養老公園を訪れた際には、ぜひこちらもご覧になってみてください。

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