養老町の歴史文化資源の発見・普及を目指して設立した当ホームページは、「私たちが暮らす養老町への関心を喚起すること」を目的に運営しています。

養老町の歴史文化資源

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象鼻山の眺望回復作業が完了しました。

2013.02.12

chouboukaihukukannryou.JPG

 

先月から進めていた象鼻山の眺望回復作業が終了しました。

 

これにより、象鼻山からの眺めはずいぶんよくなりましたが・・

それでもまだ象鼻山1号墳の被葬者が見たであろう眺望に近づくには、しばらく時間がかかりそうですね。

 

ただ、登る価値は十分にあると思います。

春も近づいて、少し温かくなってきましたので、ぜひ一度、象鼻山に登ってみてください。

妙見堂への道標。

2013.02.08

myokenzandohyo2.jpg

 

養老公園の妙見堂の登り口と、渡月橋の北詰には、それぞれ同時期に、ほぼ同じ内容で建てられた2つの道標があります。

 

書かれている内容は、それぞれ以下のようなものなので、妙見堂までの道を示すものであることは間違いないと思いますが・・

 

妙見堂登り口

「(正面)左 妙見山 本堂より瀧へ三丁(右側面)鳳明代 大正九年四月 施主 日比野寅吉」

 

渡月橋北詰

「(正面)妙見山 本堂より瀧へ三丁 左(右側面)鳳明代 大正九年四月 施主 鈴木利太」

 

鈴木利太がどのような人物で、養老サイダーの生みの親である日比野寅吉とどういう関係にあったのかが、ちょっと気になっています。

 

寅吉の出身地である大垣の人のようなので、単に二人は仲のいい友達だっただけかもしれませんが、せっかくなのでもう少し調べてみたいと思います。

 

myoukennzandohyo1.JPG

不老ヶ池の噴水。

2013.02.04

hurougaikenews.jpg

 

養老公園の千歳楼の東側に、「不老ヶ池」と呼ばれている池があります。

 

この不老ヶ池、まだまだ情報不足で、その由来など、よく分かっていないことも多いのですが・・

最近の聞き取り調査で、元はもっと小さな池だったことや、現在の姿に整備した際には、噴水も設けられていたことが分かってきました。

 

その当時の様子を撮影したものが、上の写真になります。

左下に、かなりの高さまで、水を噴き上げる噴水が写っていますよね。

唐谷の水を利用しているんだと思います。

 

現在も、四季を通して、カメラをもった方達がたくさん訪れる不老ヶ池。

引き続き、情報収集を続け、名前の由来や、整備した人物が誰なのかを調べていきたいと思います。

丁石(4・10)の復元。

2013.01.31

4chou.JPG

 

今日は、倒れたままになっていた四丁の丁石と、大部分が土に埋もれていた十丁の丁石の復元作業を行いました。

ちなみに、丁石というのは、滝までの距離を示す道標のことで、1丁は約109メートルになります。

 

どちらも大変な作業でしたが、地元の方々のご助力を得て、手際よく終了することができました。

道具までご提供いただき、本当にありがとうございます。

 

元通りになった丁石は、どちらも立派なもので、雰囲気も以前よりずいぶんよくなりました。

養老神社の境内を通る、たき道沿いに建てられていますので、養老の滝を訪れる際には、ぜひこちらの丁石もご覧になってみてください。

 

4choukaihuku.JPG

象鼻山の爆弾投下跡。

2013.01.29

bakudantoukaato.JPG

 

養老町橋爪の象鼻山には、第2次世界大戦中にB29によって爆弾が投下された痕跡が残っています。

 

投下されたのは、クラスター爆弾と呼ばれる、本体から多数の子弾を散布して、広範囲の目標を破壊するタイプのもの。

昭和20年6月26日の午前10時頃、田植え休みのまっただ中に、象鼻山西南部の斜面一帯から牧田川の河原までの広い範囲に投下されたため、総出で田植えをしていた村中の家族は、爆弾が破裂する轟音と、飛んでくる破片に驚き、そのまま逃げるようにして家に戻ったそうです。

 

ちなみに、爆弾が投下された理由として、飛行機の重量を軽くするためであったとか、象鼻山山頂の明治記念碑が大砲に見えたためなどといわれていますが、あまりはっきりしていません。

また、投下された子弾のうち3つは、象鼻山3号墳に命中し、今も大穴が3つ残っています。ただ、土で埋まって当時よりは小さくなっているみたいですね。

 

象鼻山山頂にある休憩所の西側を少し下ったあたりに、爆弾跡を示す標柱がたっていますので、興味のある方は、ぜひ天気の良い日を選んで探しに行ってみてください。

終戦後の映画大会。

2013.01.28

shimadahatimanjinjaeiga.JPG

 

養老町教育委員会では、今年度も引き続き、町内の様々な方から、昔の話を伺い、記録化する作業を進めています。

 

そんな中、今回少し気をつけて伺うようにしているのが、養老町の昔の娯楽についてのお話。

意識していないと聞きそびれてしまいますが、意外に重要な情報を含んでいて、さらに、聞いていても楽しいものが多いです。

 

そういったお話の中で、最近少し気になっているのが、終戦後、養老町の島田や押越など、あちこちで行われていた映画大会の実態。

 

どうも屋外に枠を組み、幕を張って上映するシンプルなもので、神社を会場にすることが多かったようなんですが・・

どのように運営されていたのかが、よく分かっていません。

ちなみに入場は無料だったそうです。

 

ただ、会場の後ろで自転車の荷台に乗って映画を観ていて、亡くなってしまった人もいるくらい賑わっていたそうなので、きっとまだ記憶のある方もお見えになると思います。

 

引き続き、情報収集を続け、できれば当時の写真などを発見したいところです。

養老説教場西の日本庭園。

2013.01.22

sekkyoujouishiike.jpg

 

養老公園の開設当初、養老説教場の西には、避暑亭と呼ばれる高須藩から移築された建物と、四季折々に観賞できる日本庭園がありました。

 

上の写真が、その日本庭園を撮影したものになります。

本当に素晴らしい庭園だったそうで、たくさんの要職にある方々が、避暑亭からこの景観を楽しんだみたいですね。

 

ただ、その後、どういった経緯からかはよく知りませんが、維持管理がなされなくなってしまいました・・

 

ちなみに、現在の様子を撮影したものが下の写真になります。

導水路などのインフラはそのまま残されているそうなので、いつかまたこの日本庭園を楽しめる日が来るといいですね。

 

sekkyoujounishiikeH24.jpg

四丁(たき道丁石)。

2013.01.08

chouseki4.JPG

 

養老の滝には、丁石(ちょうせき)と呼ばれる滝までの距離を示す道標が建てられています。

 

これは、明治の養老公園開設にあたり、地元有志などから寄進されたもので、当初は1丁から20丁まであったのですが・・

最近では、その半分以上の行方が、分からなくなってしまいました。

 

上の写真は、そんな丁石の中で、位置こそ変わらないものの、倒れて文字が読めなくなってしまっている4丁の丁石を撮影したもの。

これでは、誰にも気づいてもらえないのも仕方がないですよね。

 

なんとか、元通りに復元したいところです。

 

chouseki4kako.jpg

(倒れる前の4丁)

象鼻山麓の道標地蔵。

2013.01.04

hashidumedouhyoujizou.JPG

 

養老町橋爪の象鼻山のふもとには、移動されてしまった1つを含め、計4つの道標が建てられていました。

さすがに、交通の要衝ですよね。

 

そして、最近そのうちの一つが、道標地蔵であることを確認できました。

これで、養老町では船附に続き、2例目になります。

 

後背に刻まれた銘には、ちょっと判読しづらいところがありますが、「左 大がき道 右 たら道」とあるので、おそらくは別所区か、あるいは垂井町栗原あたりから来る道と、大垣と上石津を結ぶ多良街道とが接続する地点に設置されていたんでしょうね。

その点では、現在の位置も、芭蕉句碑の西隣で、ほぼ多良街道沿いに鎮座されているので、そんなに移動はしていないと思います。

 

ちなみに、上の画像は、今日のお昼頃の様子を撮影したもの。

雪が積もっていたので払っておいたのですが、笠は忘れてしまいました。

広幡はりん子お誕生日会。

2012.12.27

hirohatatanjoubi.JPG

 

昨日、広幡小学校で終業式にあわせて「広幡はりん子お誕生日会」が開催されました。

私ははじめてだったのですが、とっても素敵な会でした。

 

この広幡はりん子お誕生日会というのは、児童が種から育てた花を、誕生日を迎えた児童に贈り、さらに全校でバースデイソングを歌ってお祝いする誕生日会です。

月に1~2度は行われていて、12月に誕生日を迎えた広幡小学校の児童に贈られた花は、黄色のパンジーでした。

 

これは、FBC(フラワーブラボーコンクール)をきっかけに、もう21年間も続いている広幡小学校独自の行事なのですが、全校で行うようになり、広幡はりん子お誕生日会という名前に変更されたのは、まだ去年のことだったみたいですね。

 

ちなみに、この「はりん子」という言葉は、ハリヨという養老町を代表する魚が、地元で「はりんこ」と呼ばれていて、広幡地区でも大切にされていることから生まれた造語で、子ども会の機関誌名を公募したときに、ハリヨが巣を作り家庭を大切にする魚であることから採用された「はりん子」とは、ルーツが異なるみたいです。

 

黄色のパンジー、家庭に持ち帰っても、元気に育つといいですね。

孝子物語の引き幕。

2012.12.26

takadashouhikimaku.jpg

 

先日見せていただいた、養老ライオンズクラブのチャーターナイトの写真の中に、高田小学校講堂の引き幕を撮影した写真が含まれていました。

 

孝子物語をモチーフにしたものだったんですね。

現在、町内の小学校には、孝子物語をモチーフにした緞帳はないので、とても印象的でした。

 

ちなみに、高田小学校とは、現在の平成記念公園や養老幼稚園のあたりに昭和43年(1968)まであった小学校のことで、その創立は、明治6年(1873)の藍田学校にまで遡ります。

ただ、講堂ができるのは昭和25年(1950)なので、この引き幕もそれ以降のものでしょうね。

 

写真を見て、実物も見てみたくなったのですが、既に、この建物は平成5年5月に火事で焼失してしまっていました。 

きっと、色鮮やかな引き幕だったんでしょうね。

千歳楼の勧孝石。

2012.12.18

kankouseki.jpg

 

養老町史に「千歳楼の前庭に一個の巨石あり、勧孝石(かんこうせき)と呼ばれ、二聖(元正天皇・聖武天皇)の臨幸を物語る無学の記念碑と称されたが、千歳楼の創始者である初代岡本喜十郎が、しばしばその巨石に腰を下ろし、計画書を片手に思考にふけったところから、その巨石は勘考石とも呼ばれるようになった。」といった内容の記述があります。

 

ただ、今では、その所在がよく分からなくなっていて、ずっと行方が気になっていたのですが・・

 

先日見せていただいた千歳楼の昔の写真の中に、庭の巨石の前で撮影された集合写真を見つけることができました。

 

まだ、この巨石が、勧孝石かどうかはっきりしたわけではないのですが、天端に男二人が腰を下ろしていることからも、可能性は高いですよね。

そして、この巨石が、現在は横に寝かされ、庭池の石として使用されていることも分かってきました。

 

一部が土に埋められていることで、その大きさが分かりにくく、ちょっともったいない気もしますが、とりあえず行方がわかり、ほっとしました。

 

kankouseki(ike).JPG

八剣神社の狛犬。

2012.12.12

yaturugikomainu.JPG

 

今日、養老町下笠の八剣神社で、口の中にコロコロと動く玉が入っている狛犬を新たに見つけました。

 

これで、こうした狛犬の発見は、養老町では11例目、笠郷地区では早戸神社に続いて2例目になります。

 

ちょっと鼻ペチャの、愛らしい表情をした狛犬なので、八剣神社にお参りされるときには、こちらもご覧になってみて下さい。

養老ライオンズクラブのチャーターナイト。

2012.12.06

charter nightS39_1.jpg

 

先日、養老ライオンズクラブのチャーターナイトを撮影した写真を見せて頂くことができました。

ありがとうございます。

 

ちなみに、チャーターナイトとは、新しいライオンズクラブの始まりを祝う特別な式典のことで、養老ライオンズクラブのチャーターナイトは、昭和39年(1964)の5月24日に行われました。

 

会場は、写真を見るかぎり、高田小学校の講堂で間違いなさそうですね。

また、当日は、650名もの参加があり、大変賑わったそうです。

 

見せていただいた写真の中にも、参加者たちが、音楽隊を先頭に高田の街の中を行進したり、養老公園を訪れたりしている様子を撮影したものがありました。

 

そして、そんな賑わいが伝わってくる写真の一つが、下の養老新道に並ぶバスの列を撮影したもの。

今から見ても、すごい数ですよね。

 

charter nightS39_2.jpg

多芸小学校の学芸会。

2012.12.05

tagishougakugeikai2.jpg

 

昨日、郷土料理の記録作成の合間に、多芸小学校の学芸会を撮影した写真を見せていただくことができました。

ありがとうございます。

 

所有者の年齢から、おそらく昭和30年くらいのものだと思います。

後ろには、三種の神器をモチーフにした校章も写り込んでいますね。

 

学芸会では、椅子の上に教壇をのせてステージをつくったそうで、とても懐かしそうに当時のことを振り返っておられました。

ただ、下の写真の児童劇が、何を演じたものだったかは忘れてしまったそうです。

 

「白雪姫かな?」とおっしゃっていましたが、魔女も王子様も見当たらないので、たぶん違いますよね。

 

tagishougakugeikai1.jpg

勢至の立岩。

2012.11.28

tateiwa.JPG

 

今日、養老山地の頂上近くにある、「勢至の立岩」と呼ばれている巨岩の現地確認に行ってきました。

 

ちなみに、現地までは、上石津町一ノ瀬の方にご案内いただくことができ、林道を利用して、1時間ちょっとで到着することができました。

ご協力、ありがとうございます。

 

この「勢至の立岩」は、地元では、八畳岩とも呼ばれているもので、むかし、若狭の国(現在の福井県)の八百比丘尼(やおびくに)が、この大岩を山頂まで運ぼうと背負って登っていったが、琵琶湖が見えてくるようになると気がゆるんで背負えなくなり、ここに置き残して去ってしまったという伝説が残っているのですが・・

 

個人的には、養老町勢至にあった勢至寺という中世寺院に関わるものではないかと考えています。

ただ、今回の現地確認では、巨岩周辺に中世の遺物を見つけることはできませんでした。

 

しかし、立岩の位置を正確に把握できたことで、少なくとも応永27年(1420)の文書で、勢至寺の北境と主張されている「立岩の下大谷水落境」が行平谷であることははっきりしてきたと思います。

また、これにより、勢至寺と、その北隣の竜泉寺が、ほぼ境を接して、南北に並んでいたことも分かってきました。

 

いずれにせよ、上石津町側から林道を利用すれば、比較的楽に現地に到達できることがわかったので、次はもっと範囲を広げて調査してきたいと思います。

 

tateiwahukinchoubou.JPG

白石区の養老公園入口。

2012.11.27

yoroparkentrance.jpg

 

つい最近、民家に組み込まれる以前の、白石区のたき道道標の様子を撮影した写真を見せていただくことができました。

ありがとうございます。

 

これまでも、道標の横に高札場があったというお話は聞いていましたが、こんな感じだったんですね。

想像していたよりも、ずっと素晴らしい風景でした。

 

あと、ちょっと気になったのが、この写真のタイトルが「養老公園入口」となっていたこと。

 

これまで、開園当初の養老公園入口については、勝手に、養老説教場への上がり口がそうなのかと思い込んでいたのですが・・

間違っていたかもしれません。

 

引き続き、情報収集を続け、養老公園の変遷をできるだけ整理することで、この課題について、一度よく考えてみたいと思います。

 

平成24年11月30日に訂正記事を掲載

瑞穂西のお地蔵さま。

2012.11.22

mizuhonisijizoudou.JPG

 

養老町の瑞穂西には、頭と体が2つに壊れてしまうという、とんだ災難にあったお地蔵さまがいます。

 

どうも、地元の方に伺った話によると、今から70年ほど前に、馬を連れてそばを通りかかった人が、お地蔵さまに馬をくくりつけて、その場を離れてしまったことが、原因だそうです。

 

その後、このお地蔵さまは修復され、今も大切にお守りされているのですが、首もとには、このときの傷跡が残ってしまっていますね。

 

それにしても、手を合わせてお参りをするお地蔵さまに、どうして馬をくくったりしてしまったんでしょうか。

 

mizuhonisijizou.JPG

養老公園の果樹園。

2012.10.25

kajuen.jpg

 

先日、聞き取り調査に伺った際、養老公園の果樹園に、イチゴ狩りにいったときの写真を見せていただくことができました。

 

養老公園に、むかし果樹園があったことは知っていたんですが、こんな感じだったんですね。

考えていたよりも、ずっと広かったです。

 

ちなみに、この果樹園が開園したのは、戦後すぐくらい。

イチゴ以外にも、梨や栗、柿などが栽培されていたそうです。

 

また、近くには、マツタケ山もあったみたいですね。

 

今でも、養老公園は、春秋がとくに人気ですが、きっと当時も、楽しかったでしょうね。

烏江八幡神社の狛犬。

2012.10.23

karasuekoroinu.JPG

 

先日、烏江の八幡神社で、口の中にコロコロと動く玉が入っている狛犬を、新たに4体も見つけました。

 

いずれも平成9年(1997)年生まれで、ずいぶんと若い狛犬達です。

烏江の八幡神社は、これまでに2度遷座していて、現在の場所に移ったのが平成9年なので、このときに建立されたんでしょうね。

 

これで、養老町の口の中にコロコロと動く玉が入っている狛犬の発見数は10例になりました。

 

ただ、ちょっと気になったのが、遷座以前の狛犬の姿が、境内になかったこと。

どこかに行っちゃったんでしょうか・・

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