養老町の歴史文化資源の発見・普及を目指して設立した当ホームページは、「私たちが暮らす養老町への関心を喚起すること」を目的に運営しています。

養老町の歴史文化資源

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「郷土のために骨身を惜しまなかった渋谷代衛さん」の一般販売について。

2013.01.17

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以前よりお伝えしていた、養老町大野出身で、養老町の公共事業などに尽力した、渋谷代衛さんの生涯をまとめた冊子の、一般販売を開始しました!

 

今日から80冊限定で、金額は800円です。

購入を希望される方は、養老町教育委員会生涯学習課(0584-32-5086)へご連絡ください。

受付時間は平日の8:30~17:15です。

 

この冊子に綴られた渋谷代衛さんの言葉や生き方は、時代は違っても、私たちが生きていく上での手掛かりになると思います。

 

平易な文章で、読みやすいものになっていますので、ぜひご購読ください。

ページ数は約90で、内容は下記の通りです。

 

目次

1.はじめに 2.代衛氏の人となり 3.代衛翁の作品 短冊 4.紀功碑 5.紀功碑 裏面 6.逸話集より 7.笠郷の偉人伝より 8.養老公園開設記念碑 9.代衛さんを偲ぶ動き 10.終わりに 

 

なお、この冊子は、将来電子書庫でも公開する予定があります。

おたきみち道標。

2013.01.10

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養老公園の妙見橋北側に、滝までの道を人差し指で示す、ちょっと凝ったデザインの道標があります。

 

これは「おたきみち道標」と呼ばれている道標で、養老サイダーの生みの親である日比野寅吉によって、大正11(1922)年5月に、養老サイダー本社前に建てられました。

 

ちなみに、養老サイダーの本社は、もとは大垣にありましたが、明治35(1900)年に、菊水泉の水のおいしさに驚いた日比野寅吉によって、養老公園に移転されました。

そして、その後、順調に製造数を伸ばし、道標を建てた大正時代には、養老サイダーの名前は全国に知れ渡るようになっていたそうです。

 

ただ、平成12年(2000)の12月、養老サイダーはその歴史に幕を閉じ、今ではもう味わうことができなくなってしまいました。

 

今でも、この道標を見ると、グラニュー糖の自然な甘さと、きつくない炭酸ののどごしが思い出されます。

養老郡昆虫学会会長山田貞策。

2012.12.28

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養老町大巻に日本で初めて水車式排水機を設置したり、池辺村村長を務めたり、薩摩義士顕彰会を設立したりと、様々な事業に取り組み、大きな功績を残された山田貞策さんですが、最近の情報収集で、さらに、養老町直江から小谷山を借用させてもらおうとしていたり、養老郡昆虫学会の会長を務めたりしていたことも分かってきました。

 

ちなみに、養老郡昆虫学会を設立し、会長を務められたのは、まだ35歳くらいの頃だったようですし、小谷山借用をお願いするハガキは福島県相馬郡から養老町に送られてきています。

 

すごいバイタリティーですよね・・

 

まずは、当ホームページの「郷土の先人」コーナーで、山田貞策さんの事跡概要を紹介することを目標に情報収集を続けてきたのですが、結局あまりの幅広さに、年内に実現することができないまま、年の瀬を迎えてしまいました。

 

養老町役場も今日が仕事納めです。 

来年も、引き続き、当ホームページをよろしくお願い致します。

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山田貞策さんの情報収集。

2012.12.25

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先週、養老町大巻に生まれた山田貞策について、ご子孫の方達から、お話を伺うことができました。

忙しい中でのご協力、本当にありがとうございます。

 

調査では、山田貞策に関係する資料をはじめ、その業績や人柄などについて、たくさんの情報を収集することができました。

 

中には、はじめて聞く話も多く、貞策さんが亡くなられたきっかけが、夜、自宅近くの揖斐川堤防で、自転車にはねられてしまったことによるというお話などは、とても印象に残りました。

戦時中であったため自転車は無灯火で走っていたそうですが、もしこの事故がなければ、さらに多くの地域貢献をされていたのかもしれませんね・・

 

ただ、そんな中、貞策さんがキリスト教に入信されて以降、クリスマスをお祝いされていたかどうかを質問することは忘れてしまいました。

新しいものが大好きな方だったそうなので、ひょっとしたら・・・と想像をふくらませてしまいます。

郷土のために骨身を惜しまなかった渋谷代衛さん。

2012.11.29

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養老町教育委員会で作成を進めていた渋谷代衛さんの冊子ですが、いよいよ完成間近となりました。

タイトルは「郷土のために骨身を惜しまなかった渋谷代衛さん」です。

 

写真だけだと、ちょっとこわそうな印象をあたえる代衛さんですが、この冊子を読んでもらえば、きっと、代衛さんの本当の人柄が分かっていただけると思います。

 

完成し次第、ご報告いたしますので、ぜひ楽しみにお待ち下さい。

 

田中道麿翁のお墓参り。

2012.11.02

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昨日、田中道麿翁顕彰会による、道麿翁の墓参りがあり、4名の役員が参加しました。

 

ちなみに、現在、翁の墓は、名古屋市平和公園の常端寺墓域内にあり、二段の台石と、「国学者田中道麿翁墓所」の石標を伴っているのですが・・

道中、この台石と石標が、昭和51年(1976)に田中道麿翁顕彰会によってつくられたものであることと、その際に墓前祭が挙行されていたことを、新たに知りました。

 

また、無縁仏の域内で、道麿翁の墓を見つけ出したのも、顕彰会の方々だったようですね。

 

何度も訪れた場所だったのですが、改めて、翁の功績を顕彰してきた方々の努力があって、今があることを実感しました。

平成24年度田中道麿翁慰霊法要。

2012.10.04

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今日、9時から、56回目の田中道麿翁慰霊法要を執り行いました。

 

今年も、去年に引き続き天気に恵まれ、40名ほどの方々にお参りいただきました。

ありがとうございます。

 

恒例となった、広幡小学校6年生による歌の発表も、力作揃いでしたね。

 

また会場では、道麿さんが天明3年(1783)に出した書翰から、千歳楼の創始者である初代岡本喜十郎と親交があった可能性があることも教えていただきました。

 

ひょっとしたら、道麿さんは岡本喜十郎の薬湯に浸かって、旅の疲れを癒やしたことがあるのかもしれませんね。

 

もう少し調べてみるとおっしゃっていたので、次の成果を楽しみに待ちたいと思います。

 

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昭和34年8月13日の笠郷公民館。

2012.09.28

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先日、聞き取り調査でお邪魔した笠郷公民館で、集中豪雨で牧田川堤防が決壊した昭和34年8月13日の夜、笠郷地区の婦人会が16日に行われる盆踊りに向けて、公民館の2階で稽古をしていたというお話を聞くことができました。

 

ちなみに、当時の建物は、公民館ではなく役場支所で、木造の二階建だったそうです。

 

それにしても、笠郷地区の婦人会の皆さんは、きっとこのときはまだ、堤防が決壊して笠郷地区が水没するなんて思っていなかったでしょうね・・

 

改めて、災害には日頃の備えが重要であることを実感しました。

 

また、不思議と、この話を聞いてから、自分が生まれる前に起きたこの災害のことを、以前よりも少し身近に感じることができるようになりました。

 

文字で読むのと、生の声を聞くことの違いなんでしょうか・・

 

いずれにしても、養老町では、まだしばらく台風の季節が続きそうです。

ぜひ、このことを教訓にして、災害に対しての備えを怠らないように、よろしくお願いします。

養老説教場からの観瀑道路。

2012.09.20

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明治13年(1880)10月17日、盛大な開園を迎えた養老公園ですが、そのための測量から開園式までにかかった時間は、わずかに11ヶ月程度という短いものでした。

 

具体的には、養老公園開設のための測量を始めたのが明治13年1月で、計画書が完成し工事着工したのが同3月、工事完了が同9月、そして同10月には開園式というスケジュールだったそうです。

 

すごいスピードですよね。

 

そして、そんな短期間で公園開設を達成した開発発起人たちに、いくつか施策の語り草として残っているエピソードのうちの一つが、養老説教場から養老の滝を見に行くための道路の新設工事を、工費なしで実現してしまったという話です。

 

ちなみに、養老説教場というのは、明治初年(1868)養老公園内に、教義の宣布と、養老の景勝を探る遊覧人を招く一助として建てられた浄土真宗の説教場のことで、明治13年(1880)には、養老公園の開設に合わせ、公園内の名勝とするためにその規模が拡大されました。

 

そして、こうして立派になった説教場に、東本願寺厳如法主をお招きし養老の滝をご案内するためには道路が必要ということで、説教場から養老の滝までの道路整備を、岐阜だけでなく愛知からも信徒を動員し、その奉仕作業によって完成してしまったそうです。

 

少し、もやもやしますが、すごい手腕ですよね・・

 

そして、それ以降、たくさんのお客さんがこの道路を通って、養老の滝を訪れるようになりました。

 

みなさんも、養老の滝を見に行く予定がありましたら、ぜひ養老説教場経由のルートも検討してみてください。

こちらも、なかなかいい雰囲気ですよ。

高田中学校体育大会の園児達。

2012.09.14

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昨日、養老町立高田中学校で体育大会が行われ、485名の中学生が、5つの団に分かれて優勝を競い合いました。

強い陽射しにも負けず、みんな頑張っていましたね。

 

そんな高田中学校の体育大会ですが、17もの種目の中に1つ、校区の幼稚園児が登場して場がなごむ種目があります。

 

具体的には、園児達が中学3年生と手をつないで入場し、一緒に音楽に合わせてダンスを踊るという、とても微笑ましいものです。

 

ただ、中学校の体育大会に園児が参加していることを、めずらしく思ったので、その経緯をお聞きしたところ、「平成8年に中学2年生と校区の園児達の交流会が行われ、これに参加した生徒達に普段の学校生活では中々見られない年長者としての自覚と責任のある行動が芽生え、園児達の方はやさしいお兄さんやお姉さんにたくさん遊んでもらい大満足だった」という出来事がきっかけになったことを教えていただきました。

それ以来、毎年体育大会には校区の園児達が参加するようになり、今年でもう16回目を迎えるそうです。

 

確かに、世代を超えた交流には、普段の生活では中々得られないものがあるでしょうね。

 

実際この日も、年下の園児達を前にした生徒達の中には、お兄ちゃんやお姉ちゃんとしての表情を見せてくれる子がたくさんいました。

それに、園児達もとっても楽しそうでした。

 

しかし、こうした様子を見ていると、私の中学校にもこうした種目があったら良かったなあと思いました。そしたら、この末っ子らしい性格に、もう少しお姉さんらしい要素が備わったのかもしれません。

養老町の鉄道馬車計画。

2012.09.12

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先日、文化財の調査に伺ったお宅で、鉄道馬車並電信敷設予算書という印刷物を見せていただくことができました。

 

ちなみに、鉄道馬車というのは、レールの上を走る馬車を使った輸送機関のことで、この予算書からは、明治25年(1892)に、既に大垣市と養老町高田を、鉄道馬車で結ぶ輸送機関の計画が具体化しつつあったことがわかります。

 

ただ、実現はしていませんよね。

 

とはいえ、この予算書は、立川勇次郎さんが、養老鉄道布設願書を提出するわずか3年前のことなので、こうした計画は、きっと養老鉄道を実現する基盤となったと思います。

 

しかし、こうした事実から、改めて感じるのが、立川勇次郎さんの功績。

 

養老町のことではありませんが、立川さんは、養老町に鉄道馬車が計画される数年前には既に、大量高速輸送機関の開設が近代化に不可欠と考え、電気鉄道敷設免許を出願しています。

つまり、養老町が鉄道馬車を計画しているときに、すでに汽車を飛び越え、電車の必要性とその実現を考えていたということですよね。

すごいことだと思います。

 

ただ、当初の養老鉄道(大正2年7月)は汽車で、これが電車に変わるのは、養老鉄道布設願書から28年を経た大正12年(1923)のことでした。

ひょっとしたら、立川勇次郎さんは、ずいぶんともどかしい思いをしながら、この西濃地域の開発を進めていたのかもしれません・・

 

この「鉄道馬車並電信敷設予算書」の大きい画像は、タギゾウくんの収蔵庫に保管してあります。

もっとよく見たい方は、そちらをご利用下さい。

平成24年度佐竹直太郎翁顕彰祭。

2012.09.03

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養老町の牧田川に架かる高田橋の南詰めには、牧田川の治水工事に大きな功績を残した、佐竹直太郎氏の顕彰碑が建てられています。

 

この佐竹直太郎氏の顕彰祭が、9月1日(土)、顕彰碑前で行われました。

当日は、猛暑にもかかわらず、ご遺族をはじめ、地元である島田区の方々など、約30名の出席がありました。

ありがとうございます。

 

佐竹直太郎氏は、高田町議会議員をはじめ、養老郡会議員、岐阜県議会議員、衆議院議員と、町政から国政まで幅広く活躍した人物で、さらには養老遊園株式会社取締役なども務め、地方産業経済の発展にも貢献しました。

 

そんな佐竹直太郎氏ですが、実は生まれは養老町ではなく、郡上市。

養老町には、養子としてきたそうです。

 

養老町としては、幸運な巡り合わせでしたね。

渋谷代衛のお墓。

2012.08.24

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現在、養老町教育委員会では、多額の私財を投じて養老町の様々な公共事業に尽力した渋谷代衛(しぶやだいえい)という人物の生涯をまとめた冊子の作成を進めています。

 

今日は、この冊子の作成に合わせ、養老町大野の方のご案内で、名古屋市の八事霊園に移された、渋谷代衛のお墓の現地確認に行ってきました。

 

このお墓が、養老町大野から移されたのは昭和12年(1937)1月のことで、今では、八事霊園のたくさんのお墓の中で、どれが代衛さんのものなのかを知る人は少なく、今日も、ご案内の方の記憶が唯一の頼みだったのですが・・

 

考えていたよりもずっと早く見つけることができました。

ご協力ありがとうございます。

 

現地で、改めて周りを見渡すと、案内なしには絶対に見つからなかっただろうと思えるような場所でした。

 

ということで、この情報を「タギゾウくんの養老ナビ」に登録しました。

町外では、初めての登録になります。

 

平成15年にお墓は新調され、現在のお墓には、代衛さんのことは記されていませんが、養老町大野から移されたものであることは記されています。

ぜひ、近くに行くことがありましたら、養老町のために私財を投げうった渋谷代衛さんのお墓も訪れてみてください。

服部担風先生雑記(上・下)。

2012.08.14

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先日、養老町教育委員会に「服部担風先生雑記(上・下)」をご寄贈いただきました。

 

これは、養老町室原出身の漢学者である冨長覚夢(蝶如)先生が、その師である服部担風先生について、名古屋ジャーナルという新聞に書き続けたものを、覚夢先生のご子息である覚梁先生が冊子にまとめて刊行されたものです。

 

ちなみに、服部担風(はっとりたんぷう)先生は、愛知県弥富市出身の漢学者です。

 

中には、蝶如(ちょうにょ)先生の、担風先生への敬慕の念や、先生との思い出が忌憚なく記されていて、担風先生の魅力だけでなく、著者である蝶如先生の人柄にまで触れることができました。

 

特に、担風先生が弟子が誤りを押し通そうとする態度に出たときに静かに言った言葉は、とても印象的でした。

「わしは、この詩のために、少年のときから、すでに四、五十年、一途にこの道を修めてきた。その間、一日といえども、詩から離れたことはない。他のことは知らぬ。詩のことにかけては、わしの言うことは、まずまちがっておらぬと思う。いまこの文字を、あんたは、かれこれと言われるが、この文字は、その意味も声韻も、それではまちがっている。正しくない。これは、わしの我見から出ることばではない。詩の道から、これを正そうとして、言うところのことばなのだ。」

 

この冊子は、養老町図書館で管理しています。

ぜひ、一度手に取ってみてください。

口ケ島の水遊び場。

2012.08.07

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小学校にプールがまだない昭和40年頃、養老町口ケ島の子ども達は、口ケ島灯明のそばを流れる小川で水遊びをしていました。

 

それ以前の、口ケ島の子ども達の水遊び場は金草川だったみたいですが、夏休みが近くなると、親たちが、小川の一角をせき止め、川底をさらって、水遊びをするための場所を作ってくれるようになったそうです。

そばには、休憩所もあったみたいですね。

 

上の写真がその水遊び場を撮影したものです。

 

ずいぶん狭いような気もしますが、当時の子ども達によると「私たちはここで泳いでいた」そうです。 

子ども達にとっては立派なプールだったということなんでしょうね。

山口先生からのプレゼント。

2012.08.03

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今から43年前の昭和44年(1969)、養老小学校の屋内体育館完成にあわせて、養老町高田出身の作曲家、山口俊郎先生から、養老小学校の児童達にピアノがプレゼントされました。

 

上の写真が、その時の様子を撮影したものになります。

先日、聞き取り調査にお邪魔したお宅で見せていただいたのですが、子ども達は喜んだでしょうね。

 

手づくりの「ピアノ贈呈式 山口先生ありがとう」も、素敵です。

 

あともうひとつ、山口先生がとてもお若く見えることも印象に残りました。

このときすでに68歳くらいのはずですが、ぜんぜんそんなふうには見えませんよね。

 

来週の8月7日(火)には、そんな山口俊郎先生のお盆供養が行われます。

少し天気が心配ですが、私ははじめての参加なので、しっかり心を込めてお参りしてきたいと思います。

煮豆。

2012.08.01

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先週、肉めしの記録作成をしているときの世間話で、うちでは必ず台風が来ると煮豆をつくるというお話しをきくことができました。

 

台風が来ると買い物に行けなくなるから、日持ちするものを作るということだそうです。

 

ただ、他の人にも尋ねてみたところ、必ずしもこれと決まっているわけではなさそうでした。

パンや缶詰など、手間がかからなければ、なんでもありという家が多かったですね。

 

ただ、養老町は、これまでもずっと水害と向き合い、これからも気を緩めることはできないところ。

とにかく、台風が来れば準備するという姿勢が、とても頼もしく思えました。

大跡六社神社の狛犬。

2012.07.30

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一昔前、養老町大跡の六社神社には、夏になると、ひときわ子ども達に愛される狛犬がいました。

 

というのも、小学校にプールがなかった昭和40年代頃、大跡の子ども達は夏休みになると、神社の境内隅に作られたコンクート製の防火水槽で遊んでいたからです。

 

この辺りの防火水槽は、井戸水(湧き水)を利用していて、夏でも水温は15度くらいでした。そのため、すぐに体が冷えてしまい、泳いでいられなくなります。

すると、子ども達は、すぐそばの太陽で温められた狛犬に抱きついて体を温め、また水遊びをしたそうです。

 

とても楽しい遊びだったでしょうね。

 

しかし、現在は防火水槽には立ち入れません。

安全面を考慮してのことですが、狛犬だけはちょっとさみしく思っているかもしれませんね・・

土屋輝雄のスケッチ場所。

2012.07.24

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先日の聞き取り調査の中で、養老町高田出身の日本画家である土屋輝雄さんが、よくスケッチをしていた場所があることを教えていただきました。

 

上の画像が、その場所を撮影したものになります。

 

今は建て替えられていますが、雰囲気のいい家屋が建っていて、土屋さんは、よくここで熱心にスケッチをされていたみたいですね。

また、その合間には、のぞきに来た子どもたちを、その場に立たせて描いてあげたりすることもあったそうです。

 

ちなみに、ここで描かれた絵は、平成18年に刊行された土屋輝雄作品集の5ページに掲載されている「風景」という作品になります。

養老町図書館でも閲覧できますので、ぜひ一度ご覧になってみて下さい。

 

また、このスケッチ場所の情報についても、「タギゾウくんの養老ナビ」に登録してあります。

興味があれば、ぜひ一度足を運んでみて下さい。

鬼面山谷五郎追悼会が開催されました。

2012.07.19

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今週の月曜日(海の日)、養老町鷲巣の専明寺で鬼面山谷五郎(きめんざんたにごろう)の141回忌追悼会が行われました。

 

鬼面山谷五郎は、養老町鷲巣の出身で、岐阜県で唯一横綱になった人物です。

 

身長186㎝、体重140㎏という大柄な体格でありながら、人柄は温厚だったようで、故郷である鷲巣村が災害に見舞われたときには、金十両を工面して村人に配ったこともあったみたいです。

 

追悼会では、そんな鬼面山の業績や人柄に関する説明もあり、参列した地域の小中学生やその保護者さんたちも熱心に聞いておられました。

私もとても勉強になりました。

 

そして帰り際、ちょっと気になったのが、参加した地域の人たちの中に、鬼面山谷五郎のような体格の大きな人が見当たらなかったこと。

やっぱり、身長186㎝、体重140㎏という体格の人は、今でもそうはいませんよね。

 

きっと当時はもっと特別だったと思います。

目立っていたでしょうね。

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