養老町の歴史文化資源の発見・普及を目指して設立した当ホームページは、「私たちが暮らす養老町への関心を喚起すること」を目的に運営しています。

養老町の歴史文化資源

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養老郡昆虫学会会長山田貞策。

2012.12.28

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養老町大巻に日本で初めて水車式排水機を設置したり、池辺村村長を務めたり、薩摩義士顕彰会を設立したりと、様々な事業に取り組み、大きな功績を残された山田貞策さんですが、最近の情報収集で、さらに、養老町直江から小谷山を借用させてもらおうとしていたり、養老郡昆虫学会の会長を務めたりしていたことも分かってきました。

 

ちなみに、養老郡昆虫学会を設立し、会長を務められたのは、まだ35歳くらいの頃だったようですし、小谷山借用をお願いするハガキは福島県相馬郡から養老町に送られてきています。

 

すごいバイタリティーですよね・・

 

まずは、当ホームページの「郷土の先人」コーナーで、山田貞策さんの事跡概要を紹介することを目標に情報収集を続けてきたのですが、結局あまりの幅広さに、年内に実現することができないまま、年の瀬を迎えてしまいました。

 

養老町役場も今日が仕事納めです。 

来年も、引き続き、当ホームページをよろしくお願い致します。

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広幡はりん子お誕生日会。

2012.12.27

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昨日、広幡小学校で終業式にあわせて「広幡はりん子お誕生日会」が開催されました。

私ははじめてだったのですが、とっても素敵な会でした。

 

この広幡はりん子お誕生日会というのは、児童が種から育てた花を、誕生日を迎えた児童に贈り、さらに全校でバースデイソングを歌ってお祝いする誕生日会です。

月に1~2度は行われていて、12月に誕生日を迎えた広幡小学校の児童に贈られた花は、黄色のパンジーでした。

 

これは、FBC(フラワーブラボーコンクール)をきっかけに、もう21年間も続いている広幡小学校独自の行事なのですが、全校で行うようになり、広幡はりん子お誕生日会という名前に変更されたのは、まだ去年のことだったみたいですね。

 

ちなみに、この「はりん子」という言葉は、ハリヨという養老町を代表する魚が、地元で「はりんこ」と呼ばれていて、広幡地区でも大切にされていることから生まれた造語で、子ども会の機関誌名を公募したときに、ハリヨが巣を作り家庭を大切にする魚であることから採用された「はりん子」とは、ルーツが異なるみたいです。

 

黄色のパンジー、家庭に持ち帰っても、元気に育つといいですね。

孝子物語の引き幕。

2012.12.26

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先日見せていただいた、養老ライオンズクラブのチャーターナイトの写真の中に、高田小学校講堂の引き幕を撮影した写真が含まれていました。

 

孝子物語をモチーフにしたものだったんですね。

現在、町内の小学校には、孝子物語をモチーフにした緞帳はないので、とても印象的でした。

 

ちなみに、高田小学校とは、現在の平成記念公園や養老幼稚園のあたりに昭和43年(1968)まであった小学校のことで、その創立は、明治6年(1873)の藍田学校にまで遡ります。

ただ、講堂ができるのは昭和25年(1950)なので、この引き幕もそれ以降のものでしょうね。

 

写真を見て、実物も見てみたくなったのですが、既に、この建物は平成5年5月に火事で焼失してしまっていました。 

きっと、色鮮やかな引き幕だったんでしょうね。

山田貞策さんの情報収集。

2012.12.25

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先週、養老町大巻に生まれた山田貞策について、ご子孫の方達から、お話を伺うことができました。

忙しい中でのご協力、本当にありがとうございます。

 

調査では、山田貞策に関係する資料をはじめ、その業績や人柄などについて、たくさんの情報を収集することができました。

 

中には、はじめて聞く話も多く、貞策さんが亡くなられたきっかけが、夜、自宅近くの揖斐川堤防で、自転車にはねられてしまったことによるというお話などは、とても印象に残りました。

戦時中であったため自転車は無灯火で走っていたそうですが、もしこの事故がなければ、さらに多くの地域貢献をされていたのかもしれませんね・・

 

ただ、そんな中、貞策さんがキリスト教に入信されて以降、クリスマスをお祝いされていたかどうかを質問することは忘れてしまいました。

新しいものが大好きな方だったそうなので、ひょっとしたら・・・と想像をふくらませてしまいます。

北野の地蔵堂。

2012.12.21

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養老町の北野には、地元で「守り地蔵」と呼ばれているお地蔵さまがいます。

 

個人ではなく、区で管理されてきたお地蔵さまで、北野の人々をさまざまな災いから守ってくれると伝わっていることから、このように呼ばれているそうです。

ただ、建立の経緯について、詳しくは分かりませんでした。

 

しかし、お地蔵さまの土台には、「明治31年戌10月」と記されており、まだ建立されて110年くらいしか経っていないので、ひょっとしたら何かご存知の方もいるかもしれませんよね。

 

毎年8月の第4日曜日には、地蔵盆を行っているそうなので、また、お話を伺いに行こうと思います。

養老ライオンズクラブの結成式。

2012.12.20

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昨日、養老ライオンズクラブ5周年を祝う記念誌を見せていただくことができました。

ありがとうございます。

 

記念誌には、歴代役員の名簿や、活動記録などが掲載されていて、養老ラインズクラブの最初の5年間がどんなものであったかが、よくわかりました。

 

そんな中、特に目を引かれたのが、結成式の集合写真。

チャーターナイトの約10ヶ月前である、昭和38年(1963)7月28日に撮影されたものですが、会場が養老公園の掬水だったそうです。

 

数えてみたところ、結成当初のメンバーが21名なのに対し、写真には99名もの方が写っているので、きっと賑やかな結成式だったんでしょうね。

宝暦治水の第2元小屋。

2012.12.19

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現在の養老町立池辺小学校の北約1kmのところに、旧池辺小学校跡の石碑が建っています。

 

ここは、明治31年(1898)から昭和58年(1983)までの86年間、小学校として、池辺の教育を支えてきた場所であるのですが・・

つい最近、山田貞策著『宝暦治水薩摩義士事蹟概要』の記述から、ここに宝暦治水における薩摩藩士たちの第2元小屋があったことを知りました。

 

詳しいことは分かりませんが、どうやら大巻薩摩工事役館跡と呼ばれている第1元小屋に大牧豪農鬼頭兵内の住家が充てられたのに対し、第2元小屋には根古地新田の豪農中島九郎右衛門の住家が充てられたようです。

ただ、これだと第1元小屋と第2元小屋は、お互い500mも離れていなかったことになり、その理由が気になりますよね。

 

郡境ですかね・・

千歳楼の勧孝石。

2012.12.18

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養老町史に「千歳楼の前庭に一個の巨石あり、勧孝石(かんこうせき)と呼ばれ、二聖(元正天皇・聖武天皇)の臨幸を物語る無学の記念碑と称されたが、千歳楼の創始者である初代岡本喜十郎が、しばしばその巨石に腰を下ろし、計画書を片手に思考にふけったところから、その巨石は勘考石とも呼ばれるようになった。」といった内容の記述があります。

 

ただ、今では、その所在がよく分からなくなっていて、ずっと行方が気になっていたのですが・・

 

先日見せていただいた千歳楼の昔の写真の中に、庭の巨石の前で撮影された集合写真を見つけることができました。

 

まだ、この巨石が、勧孝石かどうかはっきりしたわけではないのですが、天端に男二人が腰を下ろしていることからも、可能性は高いですよね。

そして、この巨石が、現在は横に寝かされ、庭池の石として使用されていることも分かってきました。

 

一部が土に埋められていることで、その大きさが分かりにくく、ちょっともったいない気もしますが、とりあえず行方がわかり、ほっとしました。

 

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勢至寺跡の瓦片。

2012.12.17

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先日、養老町勢至で、瓦の破片を見つけました。

小さなものですが、たぶん中世瓦で、勢至寺に関わるものだと思います。

 

今のところ1片しか見つかっていませんが、瓦は一枚だけで役に立つものではないので、今後その周りでも見つかる可能性は十分ありますよね。

 

なんとか発見数を伸ばし、北に隣接する竜泉寺や、南に隣接する柏尾寺といった、他の中世寺院と比較できるだけの情報がほしいところです。

養老音頭と瓢箪ブギ。

2012.12.14

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先日、「養老音頭」と「瓢箪ブギ」の製作記録を見る機会に恵まれました。

 

この2曲の民謡は、昭和29年(1954)に、養老町制施行を記念し、養老町の発展を促す第一歩として作成されました。

その主体となったのは、養老観光協会で、作詞は高橋掬太郎さん、作曲は養老郡上石津町出身の江口夜詩さんです。

 

資料には、高橋掬太郎さん自筆の歌詞や、江口夜詩さんの手紙をはじめ、製作に関わる記録が詳細にまとめられていて、これらの民謡ができあがるまでの過程がとてもよく分かりました。

 

ただ、そんな中で、少し疑問に思ったのは、養老音頭の歌詞が、当初は、現在の5番までではなく、12番まで用意されていたことと、瓢箪ブギの曲名が、当初は「瓢箪マンボー」で計画されていたこと。

 

養老音頭の歌詞には、採用されなかったのが不思議なくらい素晴らしいものがありましたし、瓢箪ブギも発売の2ヶ月前までは、瓢箪マンボーだったみたいです。

何か経緯があるんでしょうね・・

 

そんな「養老音頭」と「瓢箪ブギ」ですが、今でもカセットテープを500円で販売しています。

興味のある方は、ぜひ養老町教育委員会の窓口にお越しください。

 

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妙見堂の釈迦牟尼仏像。

2012.12.13

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先週の土曜日、今年最後となる御開帳に合わせて、養老公園内の妙見堂にお邪魔してきました。

 

当日は、みぞれ交じりの雨が降るあいにくの天気でしたが、このために法話の会場が妙見堂から日蓮宗養老教会に移動になり、ご本尊である「釈迦牟尼仏像(しゃかむにぶつぞう)」をゆっくりとお参りする時間に恵まれました。

 

この仏像は、岐阜県の重要文化財で、江戸時代の日蓮宗の高僧中正院日護(1580~1649)の作品といわれています。

元々は京都にありましたが、神戸を経た後に、妙見堂に安置されるようになったみたいですね。

 

そんな釈迦牟尼仏像の特徴は、とても大きいことと、一つの木から三体造られた仏像のうちの一体であること。

見上げるほどの大きさなので、きっと大きな木から造られたんだと思います。

 

ちなみに、他の二体のうちの一体は今も山梨県の日蓮宗総本山にあり、もう一体は大阪府の一心寺というお寺にありましたが戦火で消失してしまったそうです。

また、妙見堂のご本尊は、根本でも先端でもなく、木の真ん中のところが使われたみたいですね。

 

そんな仏様に、次にお参りできる機会は、来年3月8日(金)の午前10時30分から。

梅も咲いていると思いますので、ぜひこの機会に養老公園を訪れてみてください。

 

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八剣神社の狛犬。

2012.12.12

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今日、養老町下笠の八剣神社で、口の中にコロコロと動く玉が入っている狛犬を新たに見つけました。

 

これで、こうした狛犬の発見は、養老町では11例目、笠郷地区では早戸神社に続いて2例目になります。

 

ちょっと鼻ペチャの、愛らしい表情をした狛犬なので、八剣神社にお参りされるときには、こちらもご覧になってみて下さい。

宝暦治水薩摩義士事蹟概要。

2012.12.11

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養老町図書館の郷土資料のコーナーに、新たに、『宝暦治水薩摩義士事蹟概要』という本が仲間入りしました。

 

この本は、養老町大巻に生まれた山田貞策が、昭和7年(1932)に著作刊行したもので、宝暦治水をはじめ、輪中の由来や災害、薩摩義士の顕彰活動など、養老町をはじめとする輪中地帯を考える上で、とても参考になる内容が記されています。

 

また、そうした様々な内容を表現する文章の中には、薩摩義士顕彰会の設立をはじめ、多大な社会貢献を行ってきた山田貞策という人物を知る手掛かりも含まれているように思いました。

 

貸し出しはできず、館内だけの閲覧になりますが、養老町図書館にお立ち寄りの際には、ぜひ一度、手に取ってみて下さい。

多藝の滝(たぎのたき)。

2012.12.10

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先日、大正8年(1919)5月1日に養老鉄道全線開通を記念して発行された「伊勢新報」という新聞を見せていただくことができました。

ありがとうございます。

 

孝子物語や、当時の養老公園の土産物のことなど、養老公園に関わる様々な内容が掲載されていて、大変参考になりました。

 

しかし、そんな中でも、個人的に最も印象に残ったのが、「公園の南 直江谷に多藝の滝あり」の記事。

他の資料でも、「直江の滝」の本来の名称が「多藝の滝」であったかもしれないということは分かってきていたのですが、やはりその可能性が高いみたいですね。

 

そして、その続きにあった「俗に養老の滝を雄滝、秣の滝(まぐさのたき)を雌滝、多藝の滝を子滝と称する」という記事も印象的でした。

初めて知る内容でしたが、それぞれの滝の様子を思い返してみると、たしかにそんな感じですよね。

篠塚神社の新嘗祭。

2012.12.07

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今週の水曜日、養老町橋爪にある篠塚神社で、収穫を感謝する新嘗祭(にいなめさい)が行われました。

 

土日に移動される祭りも多い中、この祭りは、昔から毎年12月5日と決まっているそうです。

当日は、氏子総代さんをはじめ、15名の方々が参加され、地元で収穫された稲穂をお供えし、今年の豊作を感謝しました。

 

ちなみに、神事の前には「呼び出し太鼓」と呼ばれる、地域に神事の始まりを告げる太鼓がたたかれるのですが、とても上手で驚きました!

 

この次の篠塚神社のお祭りは、1月18日の武佐祭り

私はまだ一度もおじゃましたことがないので、来月がとても楽しみです。

 

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養老ライオンズクラブのチャーターナイト。

2012.12.06

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先日、養老ライオンズクラブのチャーターナイトを撮影した写真を見せて頂くことができました。

ありがとうございます。

 

ちなみに、チャーターナイトとは、新しいライオンズクラブの始まりを祝う特別な式典のことで、養老ライオンズクラブのチャーターナイトは、昭和39年(1964)の5月24日に行われました。

 

会場は、写真を見るかぎり、高田小学校の講堂で間違いなさそうですね。

また、当日は、650名もの参加があり、大変賑わったそうです。

 

見せていただいた写真の中にも、参加者たちが、音楽隊を先頭に高田の街の中を行進したり、養老公園を訪れたりしている様子を撮影したものがありました。

 

そして、そんな賑わいが伝わってくる写真の一つが、下の養老新道に並ぶバスの列を撮影したもの。

今から見ても、すごい数ですよね。

 

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多芸小学校の学芸会。

2012.12.05

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昨日、郷土料理の記録作成の合間に、多芸小学校の学芸会を撮影した写真を見せていただくことができました。

ありがとうございます。

 

所有者の年齢から、おそらく昭和30年くらいのものだと思います。

後ろには、三種の神器をモチーフにした校章も写り込んでいますね。

 

学芸会では、椅子の上に教壇をのせてステージをつくったそうで、とても懐かしそうに当時のことを振り返っておられました。

ただ、下の写真の児童劇が、何を演じたものだったかは忘れてしまったそうです。

 

「白雪姫かな?」とおっしゃっていましたが、魔女も王子様も見当たらないので、たぶん違いますよね。

 

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郷土料理のレシピ保存4・5。

2012.12.04

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今日は、姿を消しつつある郷土料理の記録作成第4弾及び第5弾として、「鮒味噌(ふなみそ)」という鮒を赤味噌で骨が柔らかくなるまで煮込む料理と、「八杯汁(はちはいじる)」という、すまし汁に8つに切った豆腐を加える料理を作りました。

 

鮒味噌の完成は明日になりますが、これで予定していた郷土料理の記録作成を、ほぼ終了することができました。

ご協力いただきました皆様、本当にありがとうございます。

 

次は、これらをコンテンツにまとめる作業になりますが、レシピだけでなく、食事の場面や、その変遷についても、触れていければと考えています。

 

コンテンツの公開までは、まだ少し時間がかかりそうですが、どれも美味しく食べていただけるものばかりなので、きっと気に入っていただけると思います。

ぜひ楽しみにお待ち下さい。

大菩提寺(大悲閣)の開山毎歳忌。

2012.12.03

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11月23日(金)に、養老町養老の大菩提寺(大悲閣)で、開山毎歳忌(かいさんまいさいき)がお勤めされ、私もお参りさせていただくことができました。

 

ちなみに、開山毎歳忌とは、大菩提寺を開山した、松岡喝山窟老師(まつおかかっさんくつろうし)を弔うための法要です。

松岡老師が亡くなられたのは、昭和9年(1934)2月のことですが、現在の本尊である「如意輪観世音菩薩」が、10万人以上の女性の髪を織り込んだ貴重なものであることから、管理にも気を遣い、毎年この時期にお勤めをされているみたいですね。

 

翌週には、改めてご住職からお話しを聞くこともでき、松岡老師のことや、「大菩提寺」と称される前の「大悲閣」という名称が、一般的に観音堂(観世音菩薩像を安置した仏堂)のことを示すことなど、大菩提寺に伝わる様々な歴史を教えていただきました。

 

ありがとうございます。

 

他に累を見ない貴重な織物の本尊は、年に一度、11月23日のみの御開帳になりますが、境内の紅葉は、まだしばらく楽しめそうです。

養老公園に来られた際は、ぜひ大菩提寺にも立ち寄ってみてください。

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