5人のでんぐり。
2012.02.22

養老町の高田祭には、3輌の曳山があり、その中の1つに、獅子舞を奉納する神楽獅子山(下河原町)があります。
この下河原町の獅子舞は、祭りの当日や前日に、神社や御旅所などで、奉納されているところを見ることができ、その中でも「でんぐり」とよばれている、3人でバク転する芸がオススメなのですが・・
どうも、地元の人によると、昭和40年代終わりくらいまでは、5人でやっていたようです。
この話を聞いたときは、3人でも大変そうなのに、5人なんて、と思ったのですが、
平成22年度の聞き取り調査で、実際に5人で「でんぐり」をしている写真を見せていただくことができました。
本当に5人いますね・・
見せていただいたのは、この写真だけなので、続きは想像を膨らませるしかないのですが、
できればこの目で見たかったです。
ちなみに、昭和50年代にはいって4人、平成になって2人(まくりざし)、平成7~8年頃から3人になったそうです。
白石ミカン。
2012.02.21
養老町では、市場に出回るミカンが少なくなる2~3月に、白石ミカンが食べ頃になります。
このミカンは、明治末から大正の初め頃に、養老町の白石地区が、養老山地の傾斜を利用して栽培したのがはじまりで、当初、隣町の南濃町石津には、何度も指導をうけたそうです。
そしてその後、昭和の終わりまでは、多くの農家がミカン栽培に携わったのですが・・
オレンジ自由化以降、徐々に栽培量は減り、今では数軒の農家が2町歩ほどを栽培するのみになってしまいました。
しかし、この白石ミカン、1月下旬頃になると、皮が柔らかくなり甘みが増すので、これからの季節にはぴったりです。
情報をいただいたミカン農家さんによると、自家消費と毎年頼まれている方への小売り、それにジュースの材料で、大半は無くなってしまうそうですが、幻のミカンというわけではないので、ぜひ興味のある方は、白石地区のお知り合いに尋ねてみて下さい。
養老町勢至のベニマダラ。
2012.02.20

先週、養老町勢至の水路に生息するベニマダラの撮影に行ってきました。
養老町勢至にある日吉神社の南側を流れる水路です。
ベニマダラは、日陰のキレイな水が流れる場所を好むようなので、この環境はぴったりでしょうね。
養老町では、この他に、養老公園内の菊水泉に生息するベニマダラが比較的よく知られていて、こちらは既に「タギゾウくんの養老ナビ」に情報登録してあります。
分類は自然になります。
また、この勢至のベニマダラについても、今月中には公開できると思います。
最近、あたたかくなってきているので、ぜひ天気のいい日に訪ねてみて下さい。
薩摩工事役館遺址案内石碑。
2012.02.17

大巻薩摩工事役館跡の東約300m、牧田川の堤防上に、表面に「薩摩工事役館遺址 平田靱負終焉之地 北三拾町」、裏面に「所在地養老郡池辺村大字大巻上組 大正拾四年八月 修道館主」と刻まれた石柱が建っています。
修道館を建てたのは、山田貞策なので、どうやら、この石柱は、山田貞策が建てた薩摩工事役館跡の案内看板であるようなのですが・・
北三拾町(約3.3km)という部分が気になりますよね。
明らかに、現在の位置からは矛盾しています。
元々は、現在とは違う位置に建てられていたということであれば、養老町小坪あたりが候補にあがるのですが、ちょっとよくわかりません・・
今後も、ひきつづき情報収集を続け、また何か分かればご報告させて頂きたいと思います。
江月の白鳥
2012.02.16
ここ最近、養老町江月周辺で、よく白鳥を見かけるようになりました。
ただ、暗くなりはじめると、姿を見かけなくなるみたいです。
上の写真は、昨日の昼過ぎに撮影したもの。
30羽近い群れで、すぐそばでは、マガンもうろうろしていました。
この情報は「タギゾウくんの養老ナビ」にも登録してあります。
比較的見つけやすいので、興味のある方はぜひ探しに行ってみて下さい。
別庄の馬頭観音。
2012.02.15

今日、「タギゾウくんの養老ナビ」に、象鼻山山麓で、白山神社の南150mくらいのところにある馬頭観音の情報を登録しました。
この石碑、実はこれまで、風化やコケで字が読めず、何か分からなくて困っていたのですが・・
今日たまたま地元の人に教えて頂くことができました。
今でも1年に1回、地元の役員で小祭りを行っていて、昔、このすぐ下には、牛の爪切り場もあったそうです。
いつ造られたかがまだ不明なので、時代は入力していませんが、興味のある方はぜひ一度探しにいってみて下さい。
こばと保育園のひな人形。
2012.02.14
養老町立こばと保育園(滝見町)には、昭和54年度の卒園児保護者会から贈られた8段飾りのひな人形があります。
毎年、節分の翌週に遊戯室に飾られるのですが、今年で33年目を迎えるだけあって、ちょっと傾いちゃってますね。
しかし園児達は、毎年、このひな人形を飾るのを楽しみにしているそうです。
中には、二世代にわたって、このひな人形にお世話になった家もあるでしょうね。
ちなみに、わが家では二十四節気の一つである雨水にあたる2月19日に飾る予定です。
よくは知りませんが、この日にひな人形を飾ると良縁に恵まれるそうです。
白石村跡。
2012.02.13

今日、地元の方々に、養老町の白石区を案内して頂くことができました。
当初の目的は、白石区にあった水車小屋の位置確認だったのですが・・
それ以外にも、白石古墳に関する情報や、白石薬師堂の付近にあった旧白石村のことを教えて頂きました。
中でも、白石村が現在の場所に移動する契機が、宝永年間(1704~1710)の山地崩壊により水路が断たれたことであり、それまではまぐさの滝のある柏尾谷から水を得ていたことや、移動後の白石が、今度は養老の滝のある滝谷から水を得るようになり、その権利を持っていた島田村と深い関わりをもつようになったことは、とても参考になりました。
やはり、地元の方に現地を案内して頂くと、新しい発見がありますよね。
今日の発見を踏まえ、改めて白石薬師堂の周辺に広がる、平坦面や石垣、溝などの遺構を再検討する必要がありそうです。
養老ナビ情報の追加12。
2012.02.10
養老町祖父江には、前田慶次郎が、米沢へ向かう途中に、その息子「吉兵衛(きちべえ)」を、祖父江村の庄屋であった川瀬彦兵衛に託しに訪れたという話が残っています。
その後、吉兵衛は、祖父江村高木家で前田姓を伏せて育てられますが、その住まいや傍らの橋は、今でも「前田屋敷」や「前田橋」と呼ばれ、その歴史を今に伝えています。
現在、跡地には末裔一族が結成した「鷹乃羽会」によって石碑が建てられています。
この位置や概要についての情報は、タギゾウくんの養老ナビに登録してありますので、ぜひ一度現地を訪ねてみて下さい。
分類は文化遺産で、「前田」の文字検索でもヒットします。
旧多芸小学校の跡地
2012.02.09
養老町多芸公民館の西隣には、「旧多藝小学校記念碑」と刻まれた石碑と、二宮金次郎の石造が建っており、ここに昔、小学校があったことを今に伝えています。
この多芸小学校は、地元の人たちが、将来を担う村の子ども達があちこちばらばらに小学校に通う現状を憂いて設立されました。
地元の人はこのことを「村民の交流と絆を固めんとする並々ならぬ熱意と教育に対する村民の自立意識の賜でしかない」と振り返っています。
ただ、この小学校は、大正10年(1921)から昭和44年(1969)の48年間という短い期間で役割を終え、子ども達はまたそれぞれの小学校へ通うようになりました。
昭和33年(1958)に校舎が改築されていることも考えると、なお短く感じられたでしょうね…。

現在、多芸公民館の大会議室の壁には、この小学校が「岐阜懸多藝国民學校」と呼ばれていた頃の校旗が展示されています。
三種の神器をモチーフにしたと伝えられる珍しいものなので、ぜひ一度見に行ってみて下さい。
鬼河間(おにがま)。
2012.02.08

養老町では、地下水が 自然に湧き出して泉ができた場所を河間(がま)と呼んでいます。
こうした河間は養老町にたくさんありましたが、その中でも養老町役場の北50mにあった河間は、東西南北にそれぞれ9間(約16m)もの大きさがあり、鬼河間と呼ばれていました。
この鬼河間の周辺には、小高い土手が巡らされ、二つあった湧水点は、それぞれ赤鬼(南)青鬼(北)と呼ばれていたそうです。
また、湧き出る水がとてもきれいだったため、飲料水や洗濯、用水など普段の生活に欠かせない場所でもあったみたいですね。
ただ、その一方で馬や女の子が、鬼河間に吸い込まれて命を落としたというちょっと怖い話も残っており、地元の人は子どもに近づかないように言い聞かせていたみたいです。
この鬼河間は、その後土地改良によって、道路の下に埋まってしまいましたが、跡地には、地域に恩恵を与えた鬼河間や、ここで命を落としたものたちを忘れないために、お地蔵さんが建立されました。
失ったものを思い出させてくれるということで、導き地蔵と呼ばれているそうです。
赤と青の前掛けは、赤鬼と青鬼だからですかね。
日吉遺跡の不思議な遺物。
2012.02.07
養老町の日吉遺跡では、何に使ったのか分からない不思議なものがたくさん出土しています。
上の写真は、そんなものの一つで、紋様と赤彩を施した3cmくらいの土製品。
すぐに色褪せてしまいましたが、出土したときは、赤く光っていました。
気になるのは、その紋様と赤彩の構成。
下の画像のようなパレス壺のものとよく似ていますよね。口縁部もとれてしまっているだけで、あったかもしれません。
そのため、このことがこの遺物の性格を解明する手掛かりにならないかとも思いましたが・・
いまいちよくわかりません。
工事に伴う立会調査で出土したこともあり、出土地点の情報も乏しいです。
とりあえず、ひきつづき情報を収集したいと思います。
酔竹さんの朱竹。
2012.02.06
先週の週末、養老町船附の紫雲山法覚寺(ほうがくじ)で、安田酔竹(やすだすいちく)が描いた朱竹(しゅちく)の絵を見せて頂くことができました。
安田酔竹は、明治23年(1890)に法覚寺の長男として生まれた人物で、笠郷地区の郷土資料でよく紹介されている郷土の画家です。
竹を題材とした作品が多かったみたいですね。
実は、私の家にも一つ知人に描いていただいた朱竹の絵があります。
ただ、酔竹さんのことを知るまでは、これが縁起のよいものとは知りませんでした・・
その方にお会いしたら、改めてお礼したいと思います。
節分の豆まき会
2012.02.03
今日、養老町内の各幼稚園で豆まき会が行われました。
ぼくが今回お邪魔した、池辺幼稚園では、園児達が自分の中に住む、悪い鬼を発表し、その後、友達同士でお互いの鬼を追い払いました。
そして最後は、大豆を食べて、一年の健康を祈りました。
ちなみに、園児たちに取り憑いた鬼の多くは、怒りん坊鬼でした。
うまく退治できていれば、来週からの池辺幼稚園には、さらに笑顔が増えそうですね
オオカマキリの卵。
2012.02.02

養老町でも、夕べから雪が降り続き、今朝は町中雪景色でした。
そのため、朝早く、わが家の庭で冬を越している、オオカマキリの卵の雪を払ってあげたのですが・・
カマキリの卵の気泡には、断熱効果があり、急激な外気温の変化にも対応できるようになっているそうです。
余計なお世話だったみたいですね。
ちなみに、これくらいの大きさから孵化するカマキリの数は、200~300だそうです。
私はまだ、カマキリが孵化する瞬間を見たことがないので、暖かくなるのが楽しみです。
なたぼくさんの3Dモデル。
2012.02.01
養老町教育委員会が進めている、円空仏(なたぼくさん)と曳やま木彫の3Dモデル制作ですが、これまでに円空仏の作業が終了しました。
現在は、曳やま木彫の作業を進めています。
ちなみに、左の画像が、その円空仏の3Dモデル。
この方向ですと、これまでに公開されたデータと、あまり違わないように感じるかもしれませんが・・
180度回転させると、丸太を半裁して平らになっている裏面を見ることができます。
この裏面を見たことがある人は、きっと少ないですよね。
公開は、曳やま木彫と同時に行う予定なので、もう少し先のことになりますが、そのときは、ぜひ「なたぼくさん」の裏側も覗いてみて下さい。
養老ナビ情報の追加11。
2012.01.31
タギゾウくんの養老ナビに、新しく「北尾春圃顕彰碑」と「北尾春圃の墓」の情報を登録しました。
分類は文化遺産で、文字検索や時代検索(近世~近代)でもヒットします。
北尾春圃は、江戸時代に活躍した養老町室原出身の名医で、父である玄圃(げんぽ)もまた医者であったと伝えられている人物です。
「北尾春圃の墓」は、養老町の史跡にも指定されています。
ぜひ、一度現地を訪れてみて下さい。
佐竹民弥の彫物下絵。
2012.01.30

今日、養老町の資料の中で、佐竹民弥の彫物下絵を見つけました。
30点程度の資料ですが、その中には、養老町の指定文化財になっているものの下絵もあり、貴重な発見になりそうです。
ちなみに、上の下絵に対応する、実際の彫物はこんなかんじ。
ほぼイメージ通りといったところでしょうか・・
ただ、彫物の方は、なぜか左手の小指を立てていますね。
第12回「家族の絆 愛の詩」発表会を開催します。
2012.01.27
今週の日曜日の午後1時30分から、「親孝行と生涯学習を進めるまち養老」町民会議推進大会及び、第12回「家族の絆 愛の詩」発表会を開催します。
会場は養老町民会館です。
当日は、受賞者自身による優秀作品の朗読が行われ、さらにシリーズ12作目となる「家族の絆 愛の詩3」も販売いたします。
どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。
文化財の防火査察。
2012.01.26
今日は、第58回文化財防火デーです。
養老町では、これまで文化財防火デーに伴う取り組みは、防災訓練が中心でしたが、今回は文化財の防火査察が行われています。
上の写真は、その様子を撮影したもの。
文化財の管理状況や火気の取り扱い状況、電気配線の点検などについて、養老町消防本部による適切な指導がなされました。
査察は、明日も引き続き実施されます。
文化財所有者や管理者の方々は、ぜひこの機会に文化財周りの再点検をお願い致します。





