お囃子を再生する

栗笠の獅子舞をもっと知る

獅子舞の構成を知ると奉納の場面が分かる

栗笠の獅子舞の48種目は、3種目の基本となる舞(大廻(おおまわ)り、下(さが)り花(はな)、洞入(ほらい)り)に組み合わせて構成されている。その組み合わせは決まっており、奉納される舞は場面に合わせて選択される。(48種目と基本となる舞の組み合わせについては「舞の紹介」へ。)

大廻りに組み合わせる種目は多く35種目ある。そのすべてが、獅子が広々とした野原で遊びまわる動作を表したものであり、軽業や子どもが披露する種目が多い。そのため、35種目の中には役獅子が6種目含まれているが、舞人にとって格式が高いという感覚は薄い。ただ、「お山の道中」については、役獅子という肩書き通り格式が高いという感覚がある。その理由について、地元の方によると、あとまいの肩の上にかしらが立って舞うという、熟練された技と舞人同士が互いの動きを理解した息の合った舞が求められることから難易度が高く、大廻りに組み合わせる種目の中で唯一、個別のおはやしがあることによる可能性がある。

下り花に組み合わせる種目は、儀式的なものが多い。剣や鈴、御幣などの小道具を用い、四方正面に舞うものであり、格式が高い。

洞入りに組み合わせる種目は、物語があるものが多く、格式が高い。

よって、下り花や洞入りが選択されるのは、神事や打ちはやしなど神前で奉納する場面が多い。その反面、大廻りが選択されるのは舞台奉納が主である。ただ、舞台奉納も最初は下り花に組み合わさる「鈴の舞」から始められる。

① 大廻り

大廻り
大廻り

大廻りは洞穴に眠る獅子が、朝に目を覚ましてから、夜に洞穴に戻って眠るまでの一日を表現したもので、舞の中には獅子が常に敵を警戒し、四方や遠方、近くも眺め回すという獅子の習性を表す動作が表現されている。

獅子の一日を詳しく紹介すると、朝、洞穴から出てきた獅子は、敵がいないかと左右を確かめる(舞の動作:シチ・シチ)。近くの安全を確かめた獅子は大きく立ち上がりながら伸びをして身をふるわせて遠くまで何度も確かめる(乱を振る)。更に四方を気にしながら進み、ちょっとした広場に出る。そこで獅子は更に四方を確認し、左足、右足についた虫を口で取る。そして、大きく背伸びをしながら身をふるわせる(乱)。陽光の降りそそぐ下で獅子は草むらに身を横たえて、左前足、右前足さらに体についた虫を口で取る(羽虫取り)。虫を取り終わった獅子は、今度は餌を求めて野山を駈けまわる(餌(え)ひろい)。お腹も満ちた後、獅子は広々とした野原に出て種々の動作をして遊びまわる(返り、動作の違いによって、「ころころ」「二人返り」などの種目が名付けられる)。遊び終わった獅子は胸の動悸も激しく、頭を下げて大きな息をする(トロ、トロ)。再び餌をもとめて野山を駈けまわり、お腹が満ちるとまたのびのびと遊びまわる。やがて太陽も西に傾き、沈みかかると獅子は餌をひろいながら洞穴へ戻っていく。洞穴へ入る前に獅子は大きく伸びをし、四方を眺めて遠く近くの安全を確かめ、更に洞穴に近づき、ああ疲れたと前足を伸ばして身を振るわせ疲れをときほぐす(アブアブ)。そしてなおも遠く近くを眺めまわして安全を確かめ洞穴に戻ってくるという流れである。

舞人は、かしら、あとまい共に長袖の白いシャツに紺の手甲をし、紺又は黒のももひきを着る。また、大廻りは原則として雄雌2匹の獅子が同じように舞う。

② 下り花

下り花
下り花

下り花は、格式の高い種目の舞をする前に舞うものである。これから行う舞をゆっくりと楽しむために安全を確かめ、まわりを掃き清める動作を表した舞である。

舞人は長襦袢にたすきを掛け、獅子頭を被ったかしらがあとまいの差し出す2本のさしだしにより獅子頭をゆたんの奥深くに沈ませて、左に右にと廻りながら手では近くを掃き清めながら敵はいないかと確かめる。更に前面に進んで四方を確かめ、掃き清めながら元の位置に戻る。

③ 洞入り

洞入りは、格式の高い種目の舞をする時の出初めの舞である。

大廻りの動作も含まれ、獅子が洞穴から頭を出して左右を眺め、敵に見つからないようにと体を地にはわせるようにして進み、右に左にと敵はいないかと眺めながら用心深く慎重に出て行く様子である。

舞人の服装は大廻りと同じで、かしら、あとまい共に力帯を締める。

祭礼における獅子舞の奉納

打ちはやし(行列)
打ちはやし(行列)

福地神社の祭礼で獅子舞を見ることが出来るのは、本楽に行われる神事、打ちはやし、境内舞台での奉納においてである。それぞれ見どころが異なる。

神事では、拝殿にて「本乱」を奉納する。本乱は48種目の中で唯一神前で舞う種目であり、特別な舞である。基本となる舞3種目すべての要素が組み込まれており、すべての舞の基本となっている。舞人は着物姿であることから、動きづらく大きな動きは出来ない。そのため、経験を積み基本が身についた者でないと舞うことは許されない。神様への感謝と今後のご守護の願いを込めて、着物姿の舞人が静かに静かに舞う。神事が始まる前には、拝殿前で清めの舞「鈴の舞」を奉納する。

打ちはやしでは、村人が獅子舞奉納のための行列を組み、村内の神社を回り、獅子舞を奉納する。この行列は、一時期中止されていたが、平成21年度に復活され、往時の面影を今に伝えている。村人の長い行列が各戸に献灯をつるした町並みを進み、神社で皆が見守る中で獅子舞が奉納される。行列は、頭屋(とうや)(獅子宿)と呼ばれる家を起点をとして出発し、栗笠の東端に鎮座する市神神社、西端に鎮座する須賀神社をまわり、それぞれ「鈴の舞」を奉納する。

境内の舞台では、数多くの種目が奉納される。夕方には獅子舞奉納の大詰めを迎え、盛観である。近年でも5種目程度の奉納がなされているが、昭和50年ごろはおよそ30種目が奉納されていたという。当時は、「鈴の舞」から始まり、「ころころ」や「羽根越し」など獅子が野山を駈けまわり遊ぶという昼間の奉納にふさわしい種目をいくつも披露した。そして、だんだんと日が傾き、あたりが暗くなってくると雄雌の獅子がしっとりと舞う「花がかり」を披露し、太陽が沈む頃には、栗笠の獅子舞奉納最後の舞が行われる。それは、一人のひょっとこが二人の花嫁(おかめ)にからむ、滑稽で大変にぎやかな「おかめの舞」である。この舞が終わりに近づくと、境内中央に設置された太鼓が打ちならされ、二人の花嫁は灯りの入った手提灯に導かれながら、町並みを昼間とは逆に頭屋に戻っていき、獅子舞から祭り踊りへと引き継がれるという流れであった。現在もこの名残から、舞台奉納の最後の種目が終盤に差し掛かると、太鼓が打ちならされている。

ちなみに、かつては1月1日に行われる福地神社歳旦祭の場においても獅子舞を奉納していたそうだが、いつのころからか奉納されなくなったという。

祭り踊りと提灯、特色ある町並み

栗笠祭り踊り
栗笠祭り踊り

福地神社の祭礼に関するものでは、祭り踊りや祭礼提灯7張が町の文化財に指定されている。栗笠には、栗笠の獅子舞の他にも特色ある文化財が伝わり、かつて隆盛を極めた湊町の面影を残している。

祭り踊りは栗笠の獅子舞と同様、佐藤家が家内安全、五穀豊穣、村内和合等を祈願して村人に奉納させたものと伝えられ、試楽、本楽共に奉納されている。湊町の住民は気風が明るいといわれ、調子よく打ち込まれる太鼓と、二重、三重に太鼓やぐらを取り巻き、踊る人たちにより境内はにぎやかな雰囲気となる。現在は「でんがらがし踊り」「白川踊り」が踊られているが、以前は「どじょう踊り」も踊られていた。白川踊りについては大正時代初期になってから若者により取り入れられたものである。昔は栗笠の獅子連中が獅子舞奉納後、衣装姿のまま祭り踊りに参加したり、音頭をとるためのかけ声や、笛によるおはやしもあった。

また、福地神社には、養老町内随一の立派な提灯が献灯されている。大提灯4張、切子灯籠、紅灯籠2張は特に大きく鮮やかである。はじめて福地神社に訪れた見物人は皆がたまげる迫力である。

栗笠の町並みは、間口が狭く奥行きが深い家々が立ち並び、農村集落には見られない湊町の面影を残している。市神神社の境内には、もともと栗笠湊の堤にあった江戸時代から伝わる灯明が移築されている。

栗笠の起源

調査により見つかった鎌倉時代の山茶碗
調査により見つかった鎌倉時代の山茶碗

栗笠という地名が文書の中に確認できるのは、永禄6年(1563)に「濃州當耆郡姫船郷栗笠」、慶長元年(1596)に「北村郷栗笠村」と記されており、戦国時代の末期頃である。その村社となっている福地神社は、文禄4年(1595)に鎮座されたもので、拝殿は寛文9年(1669)の創建と伝わる。神社の記録は、貞享4年(1687)洪水により流出し、わずかに残ったものも天明2年(1782)年と文化8年(1811)年の大火で灰となり失われた。そのため、由緒は明らかではないが、福地神社ははじめ現在地より南に約500mの地点にあったと伝わる。そして天明4年(1784)、一説には享保15年(1730)に、隼人神社が前から鎮座していた現在の堤防上に合祀され、後に福地神社の元位置には「福地神社御旧址」と刻まれた石碑が建立された。

ちなみに、福地神社元位置の西に貴船神社跡地、北西に白山神社跡地の石碑が建っている。貴船神社は正長元年(1428)に建立され、慶長17年(1612)に退破したという記録が残っており、現存していない。白山神社は福地神社に合祀されている。

なお、福地神社元位置の周辺では、およそ13世紀初頭から14世紀前半の遺跡が発見されており、栗笠の起源が鎌倉時代頃までさかのぼることが明らかとなってきた。

参考文献
岐阜県教育委員会1972「獅子舞」『岐阜県指定文化財調査報告書』第15巻
岐阜県教育委員会1974『養老山系文化財調査報告書』
岐阜県教育委員会1974「栗笠の獅子舞」『岐阜県無形民俗資料記録作成報告書』第4輯
養老町教育委員会1982『栗笠の獅子舞』
養老町教育委員会2007「第2章分布調査の成果」『養老町遺跡詳細分布調査報告書』養老町埋蔵文化財調査報告書第4集