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山田 貞策(やまだ ていさく)

  • ■出生地:養老町大巻(おおまき)
  • ■時代:慶応3年-昭和19年(1867-1944)

 山田貞策は、薩摩義士顕彰会の設立をはじめ、様々な社会貢献を行ってきた人物です。特に、明治39年(1906)からは、約30年の歳月をかけて、福島県相馬地方の八沢浦干拓事業に力を尽くし、現在の福島県相馬市には山田神社も造営されています。
 山田貞策は、慶応3年(1867)2月7日、山田運四郎の長男として、池辺村大巻小字高柳に生まれました。幼名は篤、貞策は通称で、耕読堂柳坡と号しています。先祖である山田正悦は、寛文年間に高柳野に移住し、田畑を開拓して高柳新田と称し、代々その庄屋を勤めた大地主でした。しかし、山田家の所有する土地のほとんどが水害を受けやすい場所だったため、貞策は、水腐を防ぐために独学で排水機の研究をつづけ、明治26年(1893)ごろ、はじめて高柳に蒸気排水機を設立し、水腐地帯の稲作改良・増収をはかり、水腐地帯の排水機設置の先駆けとなりました。
 以降も、研究を続け、明治28(1895)には日本全国で二番目といわれる水連式蒸気機関排水機を完成させています。また、明治39年(1906)には、その技術をもって、福島県八沢浦の干拓事業にも着手しました。これは350haにも及ぶ広大な沼地を良質な農地に換えるという大事業で、完成までに11人もの犠牲者と莫大な資金、そして、30年近い歳月を費やしています。
 また、山田貞策は、干拓事業ばかりではなく、大正2年(1913)には遠く朝鮮半島全羅南道に朝鮮全南殖産株式会社を組織して、その取締役を務めたほか、養老自動車株式会社を設立したり、養老郡興農会、岐阜県農事協会を設立して小作問題の緩和、農事の発展に寄与したり、濃飛農倉聠合会を組織しその会長となって、美濃米の改良・販売法の改善にも力を尽くしたりしています。
 さらに、政界にも進出し、池辺村村会議員、池辺村長、岐阜県会議員に当選しました。
 このほか、大正14年(1925)8月には、薩摩義士顕彰会を設け、その会長として義士の顕彰に尽力し、昭和3年(1928)には「薩摩工事役館跡、平田靭負翁終焉地」碑を建立、さらに「宝暦治水薩摩義士事蹟概要」を著作刊行するなど薩摩義士偉業顕彰活動の基礎を築きました。
 明治末期には、キリスト教に感し、大正初期に修徳館を建設して教会とし、時には外国人宣教師を招いて伝道を行っています。また、この館を公開して地方民衆の修養慰安の場としても活用しました。そのために、キリスト教の信者も信者でないものも一緒になって讃美歌を歌ったことがあったといいます。
 好奇心が強く、進取の気性に富んだ人物でしたが、第二次世界大戦中の生活を静かに送り、「忍」の文字を座右の銘に揚げ、昭和19年(1944)に亡くなられました。時に七十八才でした。

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参考資料

  • ■養老町教育委員会 2013『みんなが喜ぶことに力を尽くした山田貞策さん』

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